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MR05 国民的スーパーアイドルは心やさしき


 今年2013年上期、NHK連続テレビ小説、一日に4回見るなど、日本中にブームを引き起こした「あまちゃん」。宮藤官九郎の台本、宮本信子、小泉今日子、薬師丸ひろ子という有名女優の起用、新鮮な新人の女優と男優たち。そして、何よりも個性派俳優の方々の大活躍。大変、楽しまれた方も少なくないと思います。

 特に、あまり泳げなかったのに、実際の北三陸小袖海岸で素潜りを敢行しウニ漁を行い、南部ダイバーの重装備で潜水実習を行ったり、兵庫県育ちなのに東北弁も良かった「あまちゃん」天野アキこと「能年玲奈」。彼女は、放送後、NHKの朝イチやいいともに出演し、考え中で会話が一部途絶え、放送事故だとか、紅白の司会にはむかないとか、一部に低評価する声があります。


大槌にて

写真上:「NHK あまちゃん岩手を行く」より

 しかし、「あまちゃんロス症候群(あまロス)」が新聞をにぎわすほどの社会現象になったように、NHKの朝ドラのツイッターは、新しいドラマが始まっても大部分があまちゃん関連の話題で占められています。彼女は、12月初めからは、紅白歌合戦の広報大使として、連日、mini番組で紅白の魅力を伝えてくれるそうです。そして、年末にはNHKの総合番組が朝から夕方まであまちゃん総集編を、インタビューを挟みながら、一挙大放送することが決まったとの報道がありました。

 国民的スーパーアイドル。笑顔がよく、明るく、やさしい。爆発的人気で、若者にも、また子どもからおじいちゃん、おばーちゃんにも、都会人にも田舎の人々にも、あまねく受け入られる。・・・・・なんだか、1970年代の天地真理さんとそっくりです。真理さんの場合は、業界的には圧倒的なひとり勝ち、本人にとっては破格の待遇はありましたが、それと引き換えに大変な不自由と拘束(パリや海外でないと憩えない)がありました。

紅白PR大使


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(注)画像の読み込みが断続的な場合は、二回目の再生で
    スムーズな視聴が可能な場合があります。

 能年さんは兵庫県の田舎育ちも幸いして、被災地・三陸の人たちにも抜群の人気があります。それゆえ、若くして、器用にトーク番組や大きなイベントの司会が出来ない方がむしろ良いでしょう。ちょっと言い過ぎかもしれませんが、身勝手な、業界、一般大衆の一時的なブームにつぶされないでほしいのです。天地真理さんは、巨大なアイドル像に対し、個人の自由を取り戻すのに、いろいろな失敗も含めて大変ご苦労されたのだと思います。

 NHKのミニ番組「あまちゃん岩手を行く」から、垣間見る能年玲奈さんは、被災地の普通の人たちの痛みを感じたのだと思います。私たちは良識ある大衆になって、二人の「心優しき真の国民的スーパーアイドル」を大切にしていきたいものです。自分たちの国のため、精神文化のためにも。

テーマ : お気に入りアーティスト
ジャンル : 音楽

MR10 天地真理とピンク・レディー


 天地真理さんは、1970年代前半(昭和40年代後半)、絶頂の人気を誇る国民的スーパーアイドルでしたが、1970年代後半(昭和50年代前半)の国民的スーパーアイドルはやはりピンク・レディーのお二人でしょう。
 この二組には、ライバルという側面よりも、高度成長期の日本の過激なアイドル市場で、個人の自由と睡眠時間を犠牲にして奮闘した美しき女性という共通点があります。何故、歌の上手なフォーク歌手がアイドルソングを歌い続け、分刻みに雑誌の取材やテレビ番組に出演しなければならなかったのか。何故、ハーモニーも得意なデュオが、宇宙人や野球選手の振り付けで歌い続けたのか。たとえレコード大賞などの輝かしい受賞をしても、やはり、「日本国」そのものが、極めて、元気なモーレツ日本会社だったからか。決して、次の世代の多くの若き女性や金融・不動産会社がバブルで踊り狂うために、彼らはハードな数年を駆け抜けたわけではないのでしょうが・・・・

 次にご紹介するのは、70~80年代のアイドル・歌謡曲・テレビ・映画・漫画など懐かしいものが大好きとの、土曜野午後太(どようの ごごた)さんのブログからです。楽しい文章で、良くまとまっていますね。公開ありがとうございます。

ブログアドレス
http://komawaridaichan.blog.fc2.com/blog-entry-77.html
土曜野午後太さん原作「天地真理とピンク・レディー」

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

2013.07.10 Wed
『天地真理とピンク・レディー』

 天地真理さんとピンク・レディーといえば、それぞれ70年代前半・後半の国民的スーパーアイドルですね。結構共通点も多いです。
  ・「ブーム」と呼ばれるほどの凄い人気
  ・2曲目でオリコン1位になり、当時の連続1位の新記録を樹立
  ・キャラクターグッズがたくさん発売される
  ・3年目で人気は急降下、マスコミから派手に叩かれる
などなど。
 今回は、この2組の国民的アイドルの関係について書いてみようと思います。

       ペッパー警部
          【デビュー曲「ペッパー警部」のシングルジャケット】
   
(チャチャ1)若々しいミニスカートとコミカルな足の動き、パワフルな歌声。まぶしい衝撃でした。お二人の勢いは滝を登る元気な鯉のようで、にわかに登り龍となり次々とメガヒットを連発しました。日本の警察もインターポールの銭〇警部も、邪魔は出来ませぬ。ホント、ホント。恋する夏の日の天地真理さんも真っ青でした。(編者)

  3120volvo03さん ピンクレディーde渚のシンドバット

 天地真理さんのデビューが1971(S46)年10月1日、ピンク・レディーのデビューが1976(S51)年8月25日で、ピンク・レディーが5年ほど後輩になります。
天地真理さんがリタイア(チャチャ2)する直前に、ほぼ入れ替わるようにピンク・レディーが登場したわけですね。

(チャチャ2)天地真理さんは、「私は天地真理」コンサートが1976年4月17日に行われ、最後のオリジナルアルバム「童話作家」が1976年12月21日のリリースでした。ちなみに、デビューから連続的に発表されたシングル曲として、1976年12月5日発売の「夢ほのぼの」を世に出し、1977年1月23日から、体の変調を訴え、長期の休業をしました。したがって、正確にはリタイアではなく、「人気絶頂期アイドル」の入れ替え、スター選手交替(こうたい)の意を表現されたほうが良いかも。(編者)

その後、1979(S54)年の暮れに、今度はピンク・レディーがアメリカへ旅立ってしばらく日本を留守にすることになる直前に、天地真理さんが「愛・つづれ織り」で復帰。
 この2組には、同時に存在できないという運命があったのでしょうか(笑)。
 活動期間が被ってる時期もあるので、一度くらいはTVで共演なんてこともあったのでしょうかね?私は見たことも聞いたこともないのですが。
 以前にも書きましたが、私は天地真理さんの全盛期の記憶は本当におぼろげにしかありません。
 私の天地真理さんに関しての知識というのは、大人になってから本を読んだりTVでの懐かし話を見たりして得たものがほとんどです。
 なので、リアルタイムのこまごまとした様子は全くわからないのですが、ネットやら当時の事を書いた文献やらを読むと、当時の天地真理さんは、週刊誌などにあることないこと書きたてられてマスコミからかなりのバッシングに遭っていたとか。

 ピンク・レディーも、1979(S54)年以降人気が急降下してからは、例えば学校でも「ピンク・レディーのファンだ」と言うとバカにされてしまうような雰囲気があり、世間やマスコミの手のひら返し・梯子外しというものを目の当たりにして、1981(S56)年の解散までピンク・レディーファンの私としてはとてもつらい思いをしました。

 リアルタイムで天地真理さんのファンだった皆さんも、同じような思いをされたのかなと、勝手に想像しているのですが、そんなことも、私が天地真理さんに共感する理由のひとつだと思います。

 天地真理さんとピンク・レディーの共演があったかどうかは定かではないのですが、ピンク・レディーのデビュー前にこの2組にはちょっとした接点がありまして。

 ピンク・レディーは、高校3年生の時に「スター誕生」を受けて合格しデビューとなるわけですが、その3年前にミーちゃんの方は一人で「スター誕生」を受けているんですね。中学3年生の時だということなので、1972(S47)~1973(S48)年の頃ということになります。詳しい日付などはわかりません。
 この時はTV予選までは行けたのですが合格は叶わず、残念ながら決戦大会に進むことはできませんでした。
 この時に歌ったのが、天地真理さんの「虹をわたって」だったそうです。
 以前ミーちゃんがインタビューで答えていましたし、「ピンク・レディーのすべて」というビデオの中でも、一人でスタ誕を受けた時の履歴書(?)というか応募用紙が紹介されているのですが、よく見るとそこに「虹をわたって」と書かれています。

 それから、ピンク・レディーの二人は「スター誕生」を受ける前に、やはり二人で他局の「君こそスターだ!」の方を受けて落ちているということは結構有名な話だと思うのですが、この時の「君こそスターだ!」に天地真理さんがゲスト出演していたそうです。ケイちゃんが9年前に出した本の中に書かれていました。
 70年代前半のスーパーアイドルと後半のスーパーアイドルがすれ違った瞬間ですね。

 まあ、だからなんだと言われるかもしれませんが(笑)、ちょっとしたトリビアということで。
「そんなこと知ってるよ」という方も多いと思いますが、一般的にはあまり知られていないことだと思うので、ここに記しておきたいと思います。
(以上、原作に一部勝手ながら注釈しました。すみません。)

テーマ : 音楽のある生活
ジャンル : 音楽

MR23 Miss HARUKO OBOKATA,Don't Cry!


 男性ならずとも、若き女性が一人、突然にブレイクするのは、華が咲く瞬間であるとともに、孤独な葛藤が生じることも意味するようです。弱冠30才、博士号を取得し2,3年の若者が有名な国際科学雑誌にグループ筆頭で論文を書くこと自体がかなりハードルが高いことに加え、研究対象が、がん治療などにも貢献する世界が期待する多機能性細胞(STAP細胞)。しかも、当事者の小保方晴子さんが、国民的スーパーアイドル天地真理さんも能年玲奈ちゃんも真っ青な、知的で真摯で、明るくかわいい研究者となると、「かわいいアイドル」大好きのマスメディアと日本国民には大騒ぎが必至です。

    小保方晴子会見ワイド

 学問的な内容や論文の体裁と厳密さなどは、専門家の研究者の皆様におまかせすべきと考えます。ところで、先日の記者会見で二時間余り、凛として、時にはユーモアをもって、ピン(一人)で冷静に回答した姿に、ただものならぬ強い人間性を感じたのは、きっと私だけではないと思います。

 うわさでは、マスメディアは彼女を文化人にして商売しようと企んでいるとの話もあり、商魂たくましいようです。かつて天地真理さんも実力を有望視されたフォーク歌手から化粧ばっちりの着せ替え人形的スーパーアイドルへ転換され、その大きな渦にのみこまれて後年苦悩したことは、ファンならよく知っている歴史事ではないでしょうか。

    小保方さん会見場

      【小保方会見には大勢のマスコミ関係者が出席しました】


 さて、天地真理プレミアムボックス解説書の巻末「エピローグ いつまでも私の想い出に」は、ピン(ひとり)の国民的アイドルとしては、最強、スーパーな活躍をされた天地真理さんに関し、次のような文面で締めくくられています。

 『「歌手という職業は、華やかに見えますが実に孤独な仕事です。ステージに立った以上、もはや誰の助けも受けられません。自分一人がたよりなのです。もっと頑張って自分に力をつけなければ…」

 これは天地真理が全盛期の73年に語った言葉である。一世を風靡した彼女は、この真摯な言葉やひたむきな歌声のままに、生真面目で純粋な女性であった。それは、当時近しい立場にいた人々の話からも分かる。

 例えば、CBS・ソニーおよび渡辺プロの後輩であり、天地真理のコンサートに度々ゲスト出演した太田裕美。彼女は76年当時、特に親しい歌手仲間として天地真理を挙げ「真理さんは年上なんですけれども、とっても子どもっぽいところのある人ですごく正直な人」と評した。
 あるいは、CBS・ソニーのプロデューサーだった酒井政利。彼は天地真理を「天真爛漫で純粋な性格であるがゆえ芸能界に最も翻弄されるタイプ」と分析し、それがマイナスに作用し芸能界の濁流に呑み込まれてしまったと指摘している。

 70年代は、それまで雲の上の存在だったスターがぐんと身近に感じられるようになった時代であった。しかしそれに伴い、芸能人はプライバシーや名誉などないと思えるほどの状況に置かれていた。そんな中、およそ自由というものが存在しないトップアイドルという立場で、夢の世界を表現し続けるためにはどれほどの犠牲が必要だったのだろうか。

 天地真理は誰も成しえなかったことを、驚くほどのスピードで成し遂げた。数々の賞賛と引き替えに、想像を絶する経験や苦悩を味わったに違いない。とりわけ「感性が鋭く強い人」(CBS・ソニーの白川隆三ディレクター談)ならば、そのダメージはなおさらのことだったろう。』

(編者注1)この玉虫色の意味不明な文章は何を意味しているのでしょうか。・・・天地真理さんの絶大な人気とプロダクションおよび関係者各方面への富の集中に対し、あらぬ嘘八百と人権無視の中傷を流し続けたマスメディアと、真理さんの珠玉のアルバムを一切聴かずに、疲労困憊の真理さんがテレビでやっと元気を出して歌ったファルセットをへたくそと決めつけた多くのおろかな一般大衆のことをさしているのでしょうか・・・(この一般大衆には真理さんとほぼ同年齢の私の兄も含まれていました。私はというと「若葉のささやき」を、大層気に入っていてその評価に疑問を持ちつつ、変に納得していた同じトラのあな[自説ゆずらぬ普通の人々]の一員でした。幸いにも一年前から悔い改めております。)
 もちろん、1983年、現時点で最終シングル「私が雪だった日」を歌われてからの、真理さんの紆余曲折の人生をも差しているのは当然ではありますが。

 『渡辺音楽出版の担当ディレクター(現社長)であった中島二千六(にちろく)は、天地真理について「いちばん輝いて見える、そして、みんなが夢みるような女の子を作り上げた、そう思っています」と振り返る。その言葉通り、天地真理はいちばん輝き、日本中が夢にみたスターであった。・・・・・』

 (編者注2)音楽出版社の方針が歌手よりアイドル?全盛期、一曲のレコーディングが、初見でピアノで二回ぐらい弾いてみてすぐ本番?これはアイドルには原則、歌い込んだレコーディングは無用ということでしょうか。上手過ぎちゃ困る?歌手としてかわいいカワイイに作り過ぎかも?歌の実力をのばし、もっと歌唱力をアピールしてほしかった。彼女の「銀座ひとりぼっち」、「告悔」などなど珠玉の名唱は、真に残念ながら知名度低すぎです。われわれファンには、ファンクラブにもSony Musicにも、まだまだやらねばならないことがありますね。

     小保方晴子スケッチ

テーマ : 気になるニュース
ジャンル : ニュース

MH15.1 アグネス・ラム/グラビア・アイドル第1号

 昭和50年(1975年)は、天地真理さんにとっては、5月31日~6月24日、日本劇場でミュージカル「君よ知るや南の国」を主演し、全盛期の歌唱、パフォーマンスを演じる23才でした。
 このころ、今では駆け出しの女性タレントの登竜門の一つとして普通のこととなった、グラビア・アイドルの第1号がハワイからやってきました。確かに、当時の日本女性にはない素晴らしい水着姿を惜しみなく披露してくれました。初代クラリオンガール、真理さんと同じ渡辺プロダクションの所属でした。

 Wikipedia 「アグネス・ラム」

 そうですね、大学生の私には、時々見るテレビと雑誌が主な情報源だったあの時代、アグネス・ラムの写真情報に比べると、真理さんの情報はほとんどなかったと思いますね。


アグネスラム紹介記事

雑誌(写真集?)の紹介の仕方は、真理さんらに似ていますね。

アグネスラムビーナス

まるで「ミロのビーナス」ですね。

上条倫夫さん ALOHA アグネスラム・フラダンス2

MH17.3 天地真理再デビュー 1979年


 1977年1月23日から甲状腺機能障害などを理由に長期休業していた真理さんは、1979年6月7日に復帰会見を行い、10月15日、東京芝・ABCホールで復帰コンサート「天地真理 明日への出発(たびだち)」(主催:渡辺ワークショップ、CBSソニー) を行いました。
 ファンとより近い会場でという真理さんの希望で、400席のホールで開催され、収容数を100名超えるファンが駆けつけました。特別ゲストに森田公一を迎え、演奏は当時太田裕美のバックバンドと淡海悟郎が担当したとのこと。客席には応援に駆け付けた森光子さんがいました。このコンサートは翌日のワイドショー番組や新聞等で大きくとり上げられました。(BL.17)

   ito fumioさん/徹子の部屋 天地真理 1979 

 上の動画は、最近アップされた、真理さんが黒柳徹子さんの有名な番組に出演された際の映像です。Itoさんはこの頃の他の貴重な動画も多数アップされています。ファンともども公開に感謝いたします。 はじめてみるファンにとって、これらの映像での真理さんの再デビューで歓び歌う姿とやさしい表情、感激の涙がうれしいですね。

 他の動画にあるインタビューで、真理さんは、「これからはどのような歌を歌って行きたいですか?」の質問に「バラード」とこたえています。しかし、再デビュー直後のシングルA面の歌(愛・つづれ織り、1979年12月リリース)は、曲名とは少し異なり明るいアイドルの延長線上の歌のように聴こえます。スタッフも大きな方向転換は、冒険過ぎると思ったのでしょうか。今日、ファンの中で評価の高い「初恋のニコラ」は第二弾として、翌年1980年9月に発売されました。長期休養中の真理さんは、毎日レッスンに通っていたとのこと、再デビューから、一気にバラードでもよかったのではないか。
 ファンの皆さんの誤解を覚悟で私見を述べると、レコードが売れる売れないは、歌手の旬や戦略、プロモートに大きく左右されるのでしょうが、真理さんご自身、そしてスタッフの皆さんが、真理さんの歌と人柄に、時代を越えた心の深きに及ぶ影響力に、もっと自信をもっていてほしかったと思います。 というか、近しい人が真理さんの歌声のほんとうの力について、しっかりほめてほしかった。悩める人、疲れた人を癒す不思議な力のことをです。


週刊プレイボーイか27才真理さん


 この写真はある男性週刊誌の記事のようですが、「笑え!といわれても、笑えないこともあるのよ」は、後の夏目雅子ばりの凄味だったのでしょうか。それとも、やっぱりジョーク好きでやさしい真理さんのことだから、「あるのよねぇ~!」だったかも。
 いずれにせよ、「好きな色は、水色」、「好きな食べ物はカレー」と紋切型の答えを強要されていた真理さんにとって、人間復帰の心意気を表現したものと思われます。

プロフィール

hatogairu kouen

Author:hatogairu kouen
大津波の甚大な被害は住民にも地域にも大きなPTSD(心的外傷後ストレス障害)。心の復興を願う三陸海岸K市育ちの技術士。杜の都在。

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