MH10.2 フォークソングと天地真理(その3)/森山良子


 森山良子さんは、はじめジャズシンガーを希望していましたが、天地真理さんもデビュー時好んで歌った「この広い野原いっぱい」で1967年(昭和42年)デビューしました。発売前に、ジョーン・バエズが来日公演を行い、これに急遽飛び入り参加することでその知名度は全国的になったと言われています。



  この時代の日本は高度成長期のひずみで、企業の排水による水俣病やイタイイタイ病、都会では光化学スモッグなど公害問題が社会問題化しました。また、学生運動も激しい時代でした。天地真理さんは中学から高校生、音大付属とはいえ、これらの社会の状況は良くわかっていたことでしょう。だから、真理さんもジョーン・バエズにあこがれたのでしょうか。
 先月は自衛隊の国外活動に大きく影響する安保法案が国会で与党自民党によって可決されましたが、国会前での市民のデモは大きなムーブメントとなり、マスメディアでも紹介されました。昨晩、この反対運動の様子をNHKがドキュメンタリーしていました。ただし、採決されてからの報道は、ちょっと疑問符がつきますね。
  




 ラグビー熱のある釜石出身の小生は、今、イングランドで行われているワールドカップに夢中で、今晩の、第三戦サモア戦のことで体が燃えるような静かな興奮があります。
 しかしかつて仕事で行った東南アジアの海とジャングルを想うと、70余年前のアメリカが太平洋戦争と言うあの戦争は、日本対イギリス&アメリカによる眠れる獅子・中国に関する利権がテーマの国際紛争のようにも思えます。戦争後半にはガダルカナルやラバウルの地名で代表されるソロモン諸島やパプアニューギニア、オランダ領インドネシア、アメリカ統治下のフィリピン・・・・日本が第一次世界大戦後統治した南海の島国や欧米の植民地から解放した資源国を圧倒的な兵力で奪い返し、沖縄上陸戦、広島と長崎への原爆投下(実験的要素が本当にあったのか)、東京ほか各都市への空襲と艦砲射撃とある意味で本土決戦といえるアメリカの容赦ない反撃があったわけです。
 何故にあそこまで戦い続けたのか、何故に沖縄で一般市民を巻き込む悲劇的な戦いをしたのか・・・・何も歴史的状況を回顧、反省しない日本人、沖縄県民だけに過剰に米軍駐屯の責務を取らせるのか。中国、北朝鮮の脅威に対し沖縄中心の米軍配置が本当に正しいのか。日本人は、政治家も含め、戦後70年に至っても何も実行を伴う反省をしていないように思えてなりません。

 安保法案を通した政府は、アメリカと襟を開いて交渉し、沖縄に過度に依存した防衛体制を、日本本土全体で計画的に分担する勇気が必要でしょう。沖縄の人たちから言わせるとそれは勇気ではなく当然の日本人の責務でしょう。火炎放射器で焼かれること、若き看護師が次ぎ次と断崖で海に飛び込み自害すること、米軍を恐れて島の住民が結集し悲惨な集団自決をすること、2011年の東日本大震災とはまったく性質の異なる悲劇だったわけです。はるかなるインパールのジャングルの戦い、南海の玉砕、硫黄島の激戦、シベリヤの過酷な抑留と苦役、日本人なら誰でも程度の差はあれ、読んだり聞いたりしておおよそ知っていること。
   
 フォークソングは、ふと、われにかえって、日本人に、行く道を示してくれている。そのような気がします。かつての若者は老い、次の時代に引き継ぐ。ラグビーの楕円のボールは敵群に、大きな障害にぶつかりながら、ラックとパスでつなぎインゴールを目指すもの。
 歌手として間違った評価と芸能界の濁流にのまれて、いたく傷ついた天地真理さんを、心が疲弊した人や深く傷ついた人をいやし元気を与えてくれる日本人にとって大切な歌手として、マスメディアやネット等どんな障害があっても正当な評価を広く国民に獲得し、デビュー45周年で彼女の功績を讃え感謝する。広い意味で、戦ってこそ日本人。そんな気もする、天地真理さんデビュー44周年(10月1日)です。

MH10.1 フォークソングと天地真理(その2)/吉田拓郎


 天地真理さんは、フォークソングが大好きです。真理さんは、ファーストアルバムで北山修・加藤和彦両氏の「あの素晴らしい愛をもう一度」、同じく北山氏と杉田二郎氏の「涙は明日に」、赤い鳥の「忘れていた朝」を熱唱し、その後も吉田拓郎さんの歌った「結婚しようよ」、「ある雨の日の情景」、「春の風が吹いていたら」など、当時旬のフォークソングを好んでカバーしています。
 ちなみに、「結婚しようよ」は、真理さんのデビュー二年目「ひとりじゃないの」が大ヒットした1972年(昭和47年)、若い世代を中心に大ブームとなった曲でした。「僕の髪が肩まで伸びて君と同じになったら、約束通り町の教会で結婚しようよ~」などと、今から思えば、たわいのない歌詞なのに、不思議に斬新で、若さにあふれた爽やかなフォークでした。吉田拓郎の登場は今では、日本のフォークソングをアングラからメジャーにしたJ-ポップの幕開けとして扱われているようです。

 拓郎さんの歌には、恋や愛に限らず、「青春群像」や「人間愛」が感じられる大きな歌が少なくありません。天地真理さんは確かに、美しく性格も可愛いアイドルでしたが、時々人間愛や人生を歌うところがあり、やはりフォークソングが好きなのだなぁと思ってしまいます。



吉田拓郎/落陽(らくよう)~苫小牧発仙台行きフェリー~

 この曲は1973年(昭和48年)に中野サンプラザで行われた「吉田拓郎リサイタル」で初めて発表され、その時の演奏がライブアルバム『よしだたくろう LIVE'73』に収録されたとのこと。(1973年は天地真理第三年、「若葉のささやき」や「恋する夏の日」の発表年)
 石川鷹彦さんは、太田忠さんのFM軽井沢「天地真理特集」で、ギターの名手、かつ真理さんの歌の編曲者として良くお名前が上がりますね。
 そういえば、小生、1979年、道北(天塩)の野外実習の帰り、一人で稚内までヒッチハイクし、利尻島に渡り、多くの若い旅人と利尻山に登りました。あの頃は、ユースホステルに全国から学生や若者が集い、北海道を旅していました。若者の旅にフェリーはつきもの、この「落陽」もかならずどこかで聞こえていたように思います。

rishirirebun-p_sub
利尻富士



♪落 陽 [最高の花火!]吉田拓郎 & かぐや姫 in つま恋 2006




吉田拓郎/今日までそして明日から
 

 天地真理さんのフォークと言えば、1971年、十九から二十歳にかけて吹き込んだファーストアルバムのカバー曲、人気が一段落したが最も伸びのあるファルセットを駆使した1973年の7thアルバム「空いっぱいの幸せ/オリジナル・ポップス&フォーク」のオリジナル曲、そして真理さんが”フォーク調”とした1974年の「天地真理オン・ステージ」、1976年の「私は天地真理」ライブで歌った主に「なごり雪」等の有名なフォークのカバー曲があります。

 フォーク・ソングは欧米のように民謡や反戦歌の意味合いの薄い日本では、単にフォークともよばれ、「ばらが咲いた」、「受験生ブルース」、「帰ってきたヨッパライ」、「神田川」などのように、若者の現実的な幸いを求めた日本的な小世界を歌って、学生運動時代の若者に浸透したように思われます。

 この意味では、天地真理さんの歌唱は、ファーストアルバムの「あの素晴らしい愛をもう一度」や「涙は明日に」などをオリジナルと聴き比べるとよくわかるように、曲調がかなり明るく、語尾のはね上げなど、滝を上る鯉のごとく、生き生きとした「天地真理ワールド」を表現しています。北山修氏と加藤和彦さん、杉田二郎さんらのちょっと暗めのフォークを日本のフォークの本流とすると、真理さんの歌うフォークに合わせて、長髪や着古したジーンズ姿の、野外コンサートに集まった学生や若者が盛り上がる姿はちょっと想像しにくい感じがします。

 真理さんは、音大付属中学・高校と6年間、クラシックの専門教育を受けるなかで、疑問を抱き、ジョーン・バエズに感化され、ギターを弾き、フォークを歌うようになりました。だから、彼女のドナドナやデビュー曲「水色の恋」はフォークとして素晴らしいのではないでしょうか。反面、アイドルに路線転向をしてからは低い地声を封印してフォークを歌ったため、それはオリジナルとは異なった明るい、いわばJポップやニューミュージックと呼ばれるような歌になったのではないか。たしかに、1975年、フォークの装いで「時代」を歌った中島みゆきさんは、フォーク歌手とは言われず、シンガーソングライター、ニューミュージックの歌い手と呼ばれました。

 クラシック教育に疑問を持ち、フォークの世界にあこがれた真理さんでしたが、皮肉にもクラシック教育による美しいファルセットで心のこもった歌を数多く歌うことになった真理さん。フォークにあこがれながら、旬なフォーク曲を度々カバーした真理さんではありましたが、「水色の恋」を除くと、オリジナルなフォーク調のヒットに至らなかった理由は、このようなことが一因だったのではないかと、素人ながら想像いたします。

 昨晩、拓郎さんの歌を何度も繰り返し聴いた後に、天地真理さんによるオリジナルフォークの代表的一曲を探していると、プレミアム・ボックスでは、これだという曲があまりピンときませんでした。だからこそ、逆に、「天地真理オン・ステージ」のオープニングのアコースティックギターによる伴奏の「水色の恋」や「私は天地真理」の真理さん自らのギター弾き語りの「矢車草」などが、フォークをこよなく愛する天地真理の神髄の一面をよく表すフォーク的名唱として浮かび上がるのかもしれません。(以上は、音楽のずぶの素人の小生の個人的感想です。真理さん、ファンの皆様、悪しからず、お許しを)

MH10 フォークソングと天地真理 (その1)

 
 グループ・サウンズが、コンサートでのファンの失神続発、長髪の流行など社会問題化し、急速にすたれていくと、今度はメッセージ性の強いフォークソングの全盛期が到来しました。

 このころ、小生は小学生中学年~高校生でして、思春期まっただ中、次々と新しいフォークソングが流行り、よく口ずさんだものでした。以下は天地真理さんの主なイベント(☆)にフォークソングの名曲の年譜を組み合わせたものです。

 ☆斎藤真理さん 国立音大付属中学入学(1964.4)
   ・マイク真木 「バラが咲いた」 (1966.4)
   ・森山良子 「この広い野原いっぱい」 (1967.1)
 ☆国立音大付属高校入学 (1967.4) ピアノ科,のちに声楽科
   ・フォーク・クルセダーズ 「帰ってきたヨッパライ」 (1967.12)
   ・高石ともや 「受験生ブルース」 (1968.3)
   ・フォーク・クルセダーズ 「イムジン河」 (1968.3)
   ・はしだのりひことシューベルツ 「風」 (1969.1)
 ☆音高卒業 (1970.3), ヤマハ音振会ボーカルコースにてレッスン
   ・ソルティー・シュガー 「走れコウタロー」 (1970.7)
 ☆ヤマハ「’70年作曲コンクール(第2回ポプコン)」出場 (1970.11.5)
   ・はしだのりひことクライマックス 「花嫁」 (1971.1)
   ・赤い鳥 シングルA面 「竹田の子守唄」/ B面「翼をください」 (1971.2)
   ・ジローズ(作詩;北山修、作曲;杉田二郎、編曲;馬飼野俊一)
      「戦争を知らない子供たち」 (1971.2)
   ・作詩;北山修、作曲;加藤和彦 「あの素晴らしい愛をもう一度」 (1971.4)
 ☆メジャーデビュー「水色の恋」CBSソニー (1971.10.1)
   ・吉田拓郎 「結婚しようよ」 (1972.1)
   ・泉谷しげる 「春夏秋冬」 (1972.9)
 ☆ヨーロッパにてジョーン・バエズに面会 (1973.3-4)
   ・チューリップ 「心の旅」 (1973.4)
   ・南こうせつとかぐや姫 「神田川」 (1973.9)
   ・かぐや姫(作詞・作曲:伊勢正三)「なごり雪」 (1974.3)
   ・吉田拓郎 「旅の宿」 (1974.7)
 ☆天地真理オン・ステージ (1974.9)
   ・風(作詞・作曲:伊勢正三)「22才の別れ」 (1975.2)
 ☆日劇ミュージカル主演「君よ知るや南の国」 (1975.5~6)
   ・イルカ 「なごり雪」イルカバージョン (1975.11)
   ・中島みゆき 「時代」 (1975.12)
 ☆伝説のコンサート「私は天地真理」 (1976.4)


  

   マイク真木/バラが咲いた

  戦争を知らない子供たちジローズステージ

   戦争を知らない子供たち ジローズ ライヴ

   「風」 はしだのりひことシューベルツ

  


 当時、アメリカとソ連の冷戦時代。二分された国家や不安定な国際危機、ベトナム戦争などがありました。日本国内では学生運動のたかまりがありました。フォークソングは、欧米と同じく政治的な意味合いで歌われたものが、確かに有りました。

   「イムジン河」 フォーク・クルセダーズ

   「悲しくてやりきれない」 フォーク・クルセダーズ

  赤い鳥ライブ011

   赤い鳥/ライブ(1973)竹田の子守唄,美しい星,翼をください 10:09
   
 国立音大付属の高校生だった天地真理さんも次第に、クラシックのみの歌唱に疑問をもち始め、世界的フォーク歌手「ジョーン・バエズ」の悲しき民衆の心を歌う「ドナドナ」に出会うのでした。

   bellwood58さん 天地真理/ドナドナ (江利チエミさんとデュエット)

 天地真理さんのデビューは、1971年(昭和46年)10月1日ですから、吉田拓郎の「結婚しようよ」のリリース前、今でも良く知られるフォークの名曲が次々と生まれ、ヒットした時期でした。真理さんのファーストアルバムはデビュー曲「水色の恋」のほかは、旬なヒット曲のカバーで、「あの素晴らしい愛をもう一度」などの新しいフォークも含まれていました。真理さんらスタッフは時間をかけて、このファーストアルバムを作り、乗りにのっていた吉田拓郎のアルバムを抑えて、年間売上一位を記録したのでした。
 後に、吉田拓郎氏がドラマに出演し天地真理さんと共演したことを嬉しそうに述懐されたとのこと。今でも有名なシンガーソングライターの氏にとっては、真理さんはブレーク中の超カワイイ・アイドルという点だけではなく、フォークを愛する仲間という親しみもあったのではないでしょうか。


    


 THE ALFEEの坂崎幸之助氏が「60年代から70年代こそフォークの時代」として、名曲を歌い継ぐいわばフォークの伝道師をされています。日本のフォークソングの定義は一様ではないようですが、さだまさし、ユーミンあるいは福山雅治らのニューミュージックを別ジャンルとし、ギターやベースによる弾き語りやセッションによるメッセージソングと定義すると、1966年の「バラが咲いた」の頃から始まり、1975年ポプコン優勝の中島みゆきの「時代」で終わったような感じがします。1975年(昭和50年)は、4月30日、1960年から続いたベトナム戦争がサイゴン陥落により終結し、国内の学生運動も終息に向かい、高度経済成長も鈍化した頃でした。

 フォークを指向した天地真理さんは、20代前半の全盛期、図らずもアイドルソングで国民的な人気を博しました。同時に、この時期は日本のフォークソングの全盛期でもあったわけで、彼女がアルバムでもライブでも多くの新しいフォークソングをカバーしたことは、彼女の青春期が日本のフォークミュージシャンと共に走り抜けた充実した時代だったことを物語っています。真理さんのカバー、特にフォークソングのカバーは、かつてから定評がありました。このことは、現在に残る各種の音源から容易にうなずけると思うわけです。


MR17 真理さんの憧れ Joan Baez さん


 プーチン大統領によるとロシヤがウクライナのクリミヤ半島を併合する勢いですが、今もこのような大国とそれよりは小さな国で力関係が生じます。平和の祭典「ソチ冬季オリンピック」はなんだったのでしょうか。

 天地真理さんは、デビュー当時は、フォークソング歌手を望んでおり、デビュー曲もファーストアルバムもフォーク系のレコーディングが行われました。真理さんは、ジョーン・バエズさん(Joan Chandos Baez)が憧れで、アイドル路線に変更後ではありましたがヨーロッパでお会いすることになりました。

 たしかに真理さんの二大ライブ「天地真理オン・ステージ」と「私は天地真理」には、ギターを弾き語るなどフォークソングを好んで歌っておりました。真理さんは、単に自分が「いつまでも若葉のようにかわいい女の子でいたい」と口に出しても、やはり心のどこかに、素朴な普通の人々の日常を歌ったり、苦しいしいたげられた人々に対する慰めの、心の深いところからの癒しの歌を歌いたいというお気持ちがあったのだと思います。

 真理さんの後期の歌には失恋の歌が多いのですが、演歌歌手や中島みゆきさんのように心底恋愛の葛藤を歌う、というよりも、どことなく悲しむ心(詩の中では自身に対してとなりますが)への明るくやさしい励ましを歌う傾向にあるように思うのは、私だけでしょうか。

 みなさんもジョーン・バエズさんの「ドナドナ」や「花はどこへ行った」は有名なのでどこかで必ずお聴きと思われますが、以下のように改めて聴くと、反戦の旗手、ジョーン・バエズさんがどれほど偉大なのかを垣間見ることができます。

 アイドル路線をひたすら走らされ、ご自身も特別なアイドルと位置づけていた天地真理さんの、本当に歌いたかった歌はなんだったのでしょうか。いつか、ご本人から「歌は愛、美、癒し、浄化・・・」の先にあったフォークを敬愛する歌手としての本当の夢がなんだったのかを、お聞ききしたい気がいたします。

Joan Baez Donna001

Joan Baez-Donna Donna-Live Paris 1983

Joan Baez/Where have all the flowers gone

bellwood58さん 天地真理/ドナドナ

Joan Baez Green Grass of Home

Joan Baez/The Green Green Grass of Home

小岩井農場の休日

真理さんは、1974年の「天地真理オン・ステージ」の四曲目にこの歌を歌いました。ジョーン・バエズさんを意識しているような気がします。真理さんは神奈川県育ち、バエズさんの歌より大地の、土のにおいがしないのが残念ですが、やさしく甘く歌っています。

Joan Baez 500mailes

Joan Baez/500miles

テーマ : 女性アーティスト
ジャンル : 音楽

MR03 ファーストアルバムは1972年オリコン年間一位


 天地真理はジョーン・バエズ、PPM、森山良子らに傾倒し、ヤマハポピュラーコンテスト、通称ポプコンの前身’70年作曲コンクールにも出場(赤い鳥やモップス等と同世代。時代で第十回ポプコングランプリを獲得した中島みゆきに先立つこと5年前)。2013年4月10日発売された復刻版CDでも明らかなように、1stアルバムではその実力をいかんなく発揮しています。真理さんがフォークを歌う時、まさに水を得た魚のようです。次に、天地真理プレミアム・ボックス解説書2006年より、このアルバム「水色の恋/涙から明日へ」の楽曲解説と、ブレイクした様子をお伝えします。

***************************************************** 

 デビューシングル「水色の恋/風を見た人」の大ヒットを受け、わずか2ヶ月半後にリリースされたファーストアルバム(1971年12月21日リリース)。さすが音楽の基礎を積んでいただけあって、既にこの時点で“天地真理唱法”が確立されている。アマチュア時代から好んで歌っていた「水色の恋」を含め全曲がカバーだが、大半はフォークで占められ、デビュー当時の天地真理は純粋なフォーク志向であったことがうかがわれる。いずれもクラシックで培った丁寧な歌唱法と、真心の感じられるひたむきな姿勢が、オリジナルとはひと味違った魅力を醸し出している。この路線を貫けば、フォーク系シンガーとしても大成したであろう可能性を感じさせる一枚である。

ファーストアルバム裏

 収録曲には1971年にヒットした最新フォークが並ぶ。オリジナルは「なのにあなたは京都へゆくの」がチェリッシュ、「あの素晴らしい愛をもう一度」が加藤和彦―北山修、「涙は明日に」はジローズ、「恋人もいないのに」がシモンズである。赤い鳥の「忘れていた朝」は、「水色の恋」のB面「風を見た人』を書いた村井邦彦の手によるソフトロックの名作。
同じく村井が作曲した「虹と雪のバラード」は翌年開催された札幌オリンピックのテーマ曲として競作され、トワ・エ・モワ版が大ヒットした。

タイトルに併記された「涙から明日へ」は「時間ですよ」の劇中歌で、ドラマを手がけた久世光彦が小谷夏のペンネームで作詩したもの。堺正章のソロでシングル化されたが、ドラマの中では2人の弾き語りデュエットも評判となった。「忘れな草をあなたに」は昭和30年代から歌声喫茶で人気を博し、1971年には倍賞千恵子や菅原洋一の歌がヒットした。これもフォークギターの弾き語りが似合う名曲である。

 また、フランス人形と形容された天地真理らしく、洋楽曲からは日本のチャートもにぎわせたヨーロッパ発のヒット曲がチョイスされた。メリー・ホプキンの「悲しき天使」、ダニエル・ジェラールの「バタフライ」、ポール・モーリアのインスト版で知られる世界的な大ヒット「恋は水色」と、いずれも本人の歌声に合っている。森山良子の歌唱でも知られる「恋は水色」は、「時間ですよ」のスタート時から劇中で歌われ、デビュー曲候補にも挙がっていたそうである。「水色の恋」は、この歌のタイトルにインスパイアされ改題したと考えられる。

 本作は“真理ちゃんブーム”が押し寄せるに連れアルバムチャートを上昇。サイモン&ガーファンクルら強力な洋楽勢が上位を占める中、1972年2月にはついに1位に。通算13週にわたりトップを独走し、新人のLPとしては異例の特大ヒットとなった。同年の年間アルバムチャートでは、よしだたくろうの「元気です。」を抑え堂々首位に輝いている。

プロフィール

hatogairu kouen

Author:hatogairu kouen
明るき癒しの歌声、天性のファルセットを紹介し、悩める日本人を応援します。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
ようこそ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR