MH12.1 札幌オリンピックの頃(1972年2月)

  
 今から43年前、1972年(昭和47年)2月3日~2月13日、第11回冬季オリンピック札幌大会が開催されました。
 天地真理さんは前年1971年10月1日に「水色の恋」でデビューし、12月にファーストアルバムを出されました。この時のアルバムの第9曲が公式にはトワエ・モアが歌った「虹と雪のバラード」です。会場にもテレビ放送でも流れたわけですが、外国選手にも人気があったと記憶しています。
 真理さんはとても丁寧に美しく歌っています。真理さんバージョンは公式採用はされなかったわけですが、オリンピック直前の2月1日に2枚目のシングル「ちいさな恋」を発売しました。この曲は、真理さんの人気を急上昇させた曲で、2曲目にしてオリコン最高位一位に躍り出た記念すべき曲となりました。日本人の大衆は、笠谷幸生(かさやゆきお)選手ら、ジャンプ日の丸飛行隊の金、銀、銅の表彰台独占や愛くるしい米国人フィギアスケーター、ジャネット・リン(ころんで尻餅をついてもフリー1位、総合3位、選手村の部屋の壁にPeace & Loveと書き残す)に大フィーバーをしていました。
 一方で、同時期に、二十歳の天地真理さん、大ブレイクが始まっていました。小生は中学生、知らなかったなぁ・・・なぜでしょう。

笠谷さん金メダル

札幌ジャンプ飛行隊

ジャネット・リン101

札幌オリンピック 写真上:笠谷幸生さん(70m級金)
中:日の丸飛行隊 笠谷さんと金野昭次さん,青地清二さん
下:女子フィギュアースケート ジャネット・リンさん(18歳)



 上の動画は驚きです。ジャネット・リンさんのスケーティングは、今の荒川静香さんや浅田真央さんに比較してもスピードがあり軽やかです。当時、世界一のフィギュアスケーターと呼ばれていたことが良く分かります。40年余り前の演技、芸術。良いものには国境も時代も関係ありませんね。


荒川静香トリノ金メダル

 ジャネット・リンのフィーバーから、34年後の2006年、荒川静香さんがトリノ五輪、女子フィギュアで金メダル。記憶に新しいところですね。

MH12.3 昭和47年の紅白歌合戦 心臓バックバク


 昭和47年( 1972年)12月31日、天地真理さんはNHK紅白歌合戦に初出場され、純白のスーツスタイル、紅組トップバッターで「ひとりじゃないの」を熱唱されました。
 この年、ナベプロ同期の小柳ルミ子さんは、「瀬戸の花嫁」が大ヒットし、当然、紅白の二回目出場をはたされました。
 
 私は、11月初旬に瀬戸内海~九州旅行の手記を掲載しましたが、その後何度かこの曲を聴いていました。ところが、お気に入りの瀬戸内の現地どり動画が削除されたため、他の動画を探していて、この時の真理さんの貴重な応援姿を発見しました。

 ルミ子さんの歌唱が続き1:40になったとき、カメラが引いて、紅組の応援列に白と青の衣装の天地真理さんがいらっしゃいます。この衣装は、直前のTBSレコード大賞で大衆賞を受賞した時のステージ衣装です。
 曲終盤では、紅組の皆さんがルミ子さんの周りに集まります。真理さんは、いしだあゆみさんとお隣で、祝福の笑顔。 ルミ子さんの大ヒットに、やさしい真理さん、満面の笑顔でした!!! 

 再発見した私は、大衆賞で森光子さんからインタビューされた真理さんのお答えのように、「心臓バックバク」(正しくは「ドッキドキ」)という感じです。

     瀬戸の花嫁応援列_convert
      花嫁のお出迎えです。

     瀬戸の花嫁応援003_convert
      ルミ子さんの右に真理さん、いしだあゆみさん

     瀬戸の花嫁応援002
       熱唱する小柳ルミ子さんとご機嫌の天地真理さん
      
       瀬戸の花嫁/小柳ルミ子 NHK紅白(1972)
   

MH11.2 「ホテル・ヴィクトリヤ」と「水色の恋」


 天地真理さんは、2013年1月、ご自身の新・ゴールデンベストの回顧録の中で、曲もレコードジャケットもデビュー曲「水色の恋」(1971年、昭和46年10月1日リリース)が最もお気に入りとおっしゃっています。

 この曲は、日本人姉妹と外国人の双方の著作権となっていることにお気づきの方も少なくないと思います。真理さんのファーストシングルジャケット裏面(今年のゴールデン☆アイドルのシングルジャケット集ですが)には、日本人姉妹は、作詩:田上えり、作曲:田上みどり、外国人は作詩: Carios Pesce、作曲:Feliciano Latasaとあります。
 昨年、youtube投稿に励んでいたころ、「水色の恋」をローマ字の歌詞をつけて投稿した時、突然、外国の方から、著作権に関する苦情のようなコメントがあり、けっこう衝撃でした。

 類似の曲、盗作ではないかと疑われたのは、「ホテルヴィクトリヤ」という古い外国の曲(1906年初演)で、真理さんファンの大御所の方々がすでにブログ等でふれ、詳しく解説しています。(参照ブログ;Shinさん,amhikokigumoさん)

   Music Essays++by Shinさんから

   amhikokigumoさんのブログから

   Gran Hotel Victoriaの著作権

   single1head

 次にご紹介するのは、貴重な音源公開で著名なSugi4Geruさんのyoutube投稿です。この作品は2012年の投稿ですが、タイトルに天地真理さんの名前や曲名がないため、昨日初めて見つけました。「ホテルヴィクトリヤ」は、途中0:50以降に「水色の恋」の主題ともいえる曲調が流れます。本来はタンゴであって、ポピュラーとは異質な感じもします。(タンゴは南米ラテン、アルゼンチンなどで、男性の右腰骨と女性のそれを当てるようにして、男女接近して踊る悩ましき愛の踊り。小生は40才頃ちょっと習っていましたなぁ~)

 リト・エスカルソと彼のオルケスタ「ホテルヴィクトリヤ」

 次は、amhikokigumoさんの貴重な音源の公開ですが、真理さんファンなら皆さんご存知と思われる作品です。

 天地真理デビュー前 「水色の恋」原曲 幻の「ちいなさ私」を歌う

 この二曲を聴き比べると、旋律はよく似ていますが、全体の曲のイメージはちょっと違いますね。「ホテルヴィクトリヤ」では、この旋律は、タンゴのリズムとは異なり、他の原曲から引用したような雰囲気すらあります。まるで、ブラームスの大学祝典序曲や、途中に古くからの民謡の旋律を挟む交響曲の手法(ドボルザークの「新世界」でしたか『遠き山に日は落ちて~♪』)と同じようにも感じられます。上記のShinさんの調べでは、「どうもそのメロディの由来はもっと古く、スペインの作者不明の曲をLatasaか誰かがタンゴに取り入れた、ということらしい。」と述べています。

 次の投稿はホテルヴィクトリヤの古いレコード作品、およびタンゴの国の名演奏&名演舞と思われる作品から。これらはタンゴの名曲としての本来の演奏と思われます。真理さんの歌う「水色の恋」とは大分イメージが違いますね。類似する旋律は副主題であり、前半と最後に流れる主題はタンゴのリズムの別な旋律です。

  Hotel Victoria 78rpm

   

  水色の恋楽譜ジャケット類似旋律

 フム~、上記のタンゴ演技動画で0:50~1:20と1:39~2:11(2分50秒のうち62秒間)ですね。赤枠はよく似ている旋律部ですが、注意して聴くと出だしの2小節10音符[「さよならの/言葉さえ」にあたる(3連符+4分音符×2)×2]が似ていて、結局特に印象的な繰り返し旋律がそっくりと言えばそのとおりと言えましょう。他は変化があり、良く似ているとは言えませんが、初期のマネジメント関係者、ソニーの中曽根さんやナベプロの菊地さんには、悩ましき問題だったとお察しいたします。

 田上姉妹はどのように語っていらっしゃるのかは不明のようですが、作者が併記されたということは、この古いタンゴの調べをご存知だったのかもしれません。しかし、水色の恋の主題旋律が古のスペインの調べであれば、起源の著作権はスペインの古人にあるのではないでしょうか。はたして、どなたが、どの地域で作った調べだったのでしょうか?まさか、カルタゴやゴルドバ、インカにまで遡るのでしょうか?
 はてさて、 謎は深まるばかりですが、いずれにしても、私には天地真理さんの歌声が、「水色の恋」の詩と曲が、確かに人生で最もお気に入りの歌唱コンテンツの一つというのが偽らざるところです。

         
水色の恋サイン

千政夫さん 水色の恋/天地真理

 
            

MH19.1  異国の天地真理ショー 昭和60年代(1986-1989)バブル到来 


 今年の三月、家内の趣味に付き合って、ふと立ち寄った仙台市宮城野区図書館で、斎藤 茂著 『歌謡曲だよ!人生は~「平凡」編集長の昭和流行歌覚え書』 マガジンハウス(2000年11月24日)から、真理さんのバブル時代の海外活動について、触れたくだりを見つけました。

 斎藤 茂さんは、「小柳、天地、南 アイドル三人娘と野口、郷、西郷の新御三家時代」と題した章で、「昭和47年(1972年)、正月、日劇でのショー」について次のように懐古しています。

 小柳ルミ子は、この日劇ショーのオープニングでは、同じ時に同じナベプロからデビューした天地真理と「三番叟」を踊った。このときは、宝塚仕込みの日本舞踊の素養がものをいい、天地真理と明らかな差をつけてしまった。踊りの師匠について二年、三年とキャリヤをつまなければ踊れないという三番叟は難物中の難物なのだ。それを素人に近い天地に一夜漬けで踊れというのが大体無理な話だったと思う。

 また、次の逸話を突然挿入しています。(書いていて急に思い出したのでしょう)

 六十一年(1986年)頃、バリ島へのスケッチ旅行をしたことがある。
 そのとき、ジャカルタの知人の商社マンから、「今夜、天地真理ショーがあるので」と招待を受けた。真理ちゃんと会うのは十数年ぶりだった。内地ではすでに人気が下火だったが、日本の商社マンたちは、海を渡ってきた懐かしのアイドルスターのステージに大熱狂した。「水色の恋」や「ひとりじゃないの」などは、彼らに遠い日本と遠い青春の日々を思い出させ、大盛況の一夜だった。

 同じ年(昭和46年、1971年6月1日)にデビューした沖縄出身の南沙織を加え、この年(昭和47年、1972年)は文字通り三人娘の年だった。
(年号、年月日は編者補足)

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 この時期、真理さんは、昭和61年(1986年)9月に挙式して、新婚旅行は一週間、フランスへ行きました(34才ですね)。翌年、昭和62年8月16日に、長女・真保さんを出産。自然分娩で、病院に15時に入り、18時には真保さんが生まれました。3092グラムの元気な赤ちゃんでした。(天地真理著「スリムになるってステキなことネ」1997年.p22より)


真理さん結婚式

天地真理さんのウエディング・ドレスと宝飾品、豪華に見えます。
(「スリムになるってステキなことネ」p37)。
初めて見た時、小生は、なぜかホッとしました。



 とすると、先の、異国、インドネシアでのショーは、結婚式の直前の仕事になります。ギャラは、結婚式や旅行にも反映したのでしょうか。いずれにしても、戦後の日本経済がJapan As No.1として、最も強かった時代。斎藤元編集長がおっしゃる商社マンの熱狂は、想像にかたくありませんね。高額な「おひねり」もあったかもしれません。

 どんな時も、お人好しとさえ言われる心やさしき天地真理さん。上手く歌うのはほどほどにして、笑顔でかわいらしく、おじさんたちの青春を蘇らせるべく、サービス精神フルスロットルの真理さんだったのでは、と小生、よけいな想像をいたします。

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 昭和60年代とは、昭和天皇の崩御が昭和64年1月ですから、1985年~1989年となります。ちなみに、この時代は、バブルの時代。この時期、崩御された昭和天皇は、札束とボディコン女性が乱舞する様子を、ご存じだったのでしょうか。

 この時期の主な出来事は、次のものがありました。

・昭和60年(1985年) 羽田発大阪行きの日航ジャンボ機123便のダッチロール。群馬県・御巣鷹山への墜落・・・坂本九を含む500余名の乗客・搭乗員の死、少女らの奇跡的救出。貿易収支超黒字、豊田商事会長の逮捕日刺殺事件。

・昭和61年(1986年)ソ連ウクライナ共和国のチェリノブイリ原発事故。社会党参院選躍進、土井たか子「山は動くんです!」。ダイアナ妃来日フィーバー。人気アイドル・岡田有希子が自宅マンションから投身自殺。たけし軍団、フライデー編集部なぐりこみ事件。フィルムにレンズのついたコンパクトカメラ「写ルンです」発売。

・昭和62年(1987年)鶴田浩二、石原裕次郎、川口浩、巨星相次いで逝く。バブルに溺れ地価高騰、地上げ屋。俵万智「サラダ日記」。マイケル・ジャクソン、マドンナ来日。国鉄分割民営化。

・昭和63年(1988年)4月、美空ひばり「不死鳥コンサート」(平成元年6月24日没)。「朝まで生テレビ」激論。青函トンネル開業(3月31日)・青函連絡船廃止。ソウル五輪開幕(9月17日)。

・昭和64年(1989年)1月7日、昭和天皇崩御。激動の昭和閉幕。

・平成元年(1989年)皇太子・明仁親王、即位。元号は平成となる。毛筆で書いた「平成」の文字、後に総理大臣となる自民党小渕官房長官による発表が何度もTVに流れました。

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Author:hatogairu kouen
明るき癒しの歌声、天性のファルセットを紹介し、悩める日本人を応援します。

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