MH03 幼少期(昭和26年~30年頃)


 天地真理さんは、ご自身の幼少期について言葉少なに次のように語っています。

 「昭和26年11月5日、私は埼玉県大宮市で生まれました。ただ、大宮時代のことはほとんど記憶にありません。すぐに東京の中野に引っ越しましたので、最初の記憶は中野での生活です。もの心ついたときから母ひとり、子ひとりでした。・・・」
 (引用1)天地真理著「スリムになるってステキなことネ」双葉社(1997年8月30日,第7刷発行),10pより

 【ネット百科事典Wikipedia「天地真理」】による幼少期
 1951年(昭和26年)11月5日、うさぎ年生まれ。さそり座。血液型はO型。2歳の頃、両親が離婚し、母親に連れられて大宮から東京・中野へ転居し(1955~1956年[昭和30年~31年、4~5才]、中野保育園に通う。
 (引用2)ja.wikipedia.org/wiki/天地真理,2013年1月19日更新版から、[  ]内などブログ編者加筆

   ぶーふーうー
※1960-1967年、幼児番組 NHK「お母さんといっしょ」より「ブーフーウー」
(長男ブー:大山のぶ代さん,次男フー:三輪勝恵さん,三男ウー:黒柳徹子さん)

 昭和20年代後半の日本社会の主な出来事は以下のものがありました。

1952年[昭和27年]
・連続ラジオドラマ「君の名は」(菊田一夫脚本)ブーム、翌年映画化
・「ああモンテンルパの夜は更けて」。歌手・渡辺はま子さんは、フィリピン抑留中の戦犯・元日本兵を慰問(国交のないフィリピンへの渡航を嘆願、奔走)。翌年、キリノ大統領が同曲のやるせないオルゴールを聴いて、全受刑者を解放・日本送還を決めた。

1953年[昭和28年]
・NHKテレビ「ジェスチャー」人気番組に。キャプテンは白組:柳家金語楼、紅組:水の江滝子。・・15年の長寿番組(1968年、昭和43まで)
・電化元年「三種の神器」白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫・・高価であったが庶民の憧れ
・昭和21年から始まった「ラジオ歌謡」はヒット曲を生み出す・・・「朝はどこから」、「山小舎の灯り」、「雪の降る町を」など
・アメリカ・ロングビーチのミス・ユニバースコンテスト・・・伊藤絹子、みごと三位入賞。八頭身か八等身か?

1954年[昭和29年]
・マリリン・モンローとジョー・ディマジオ 新婚旅行で来日、日本人大フィーバー
・オードリー・ヘップバーン「ローマの休日」大人気
・青函連絡船洞爺丸転覆(死者行方不明1055名)・・・青函トンネル34年後(1988年)開通
・第五福竜丸が南太平洋での水爆実験に被ばく・・・映画「ゴジラ」誕生(本多猪四郎監督)、撃退薬品「オキシジェン・デストロイヤー」

  1954ゴジラポスター

  東宝 ゴジラ予告篇 1954

 このように、真理さんの幼少期は、戦後6年から10年ほどで、外的にも精神的にも戦争の爪痕が明らかでしたが、日本も世界も鴨長明の方丈記の有名な句「よどみに浮かぶうたかたは・・・久しくとどまりたるためしなし」の感がありました。ミス・ユニバースの審査員もマリリン・モンローも、アメリカはオープンですね。一方、アメリカやフランスによる海洋水爆実験は、許しがたい行為だったと思いますが、敗戦国日本には発言権はなかったのでしょうか。

 
   中島みゆき_みんな去って

   mikan197201さん「五才の頃」中島みゆきカバー弾き語り

    作詩・作曲・中島みゆき「五才の頃」(いつつのころ)
    (一番から)
    思い出してごらん 五才の頃を
    涙流していた 五才の頃を
    嘆くわけといえば 只のひとつも
    思い出せなくとも 涙の味を

 幼児は誰も、お母さんや幼稚園の想い出がありますね。
 私事ですが、小生の成人した二人の娘AちゃんとKちゃんは、札幌生まれ、盛岡育ち。長女は、空気の爽やかな札幌で育ち、雪まつりでピッコロ像の前で写真におさまったり。次女は、盛岡の近所に子供たちの多いところで育ち、お姉ちゃんや友達とけっこう大勢で遊びまわっていました。盛岡は年中、お祭りが多く、小岩井農場も近郊で、子供たちは、羊さんのお尻をぺんぺんしていました。われわれ夫婦にも子供たちにも、いっぱいの楽しい想い出があります。娘たちの幼稚園の運動会で、父兄競争に出たのも良い思い出です。

 さて、お父さんが離婚して、忙しいお母さんと二人きりの斎藤真理さんは、家族で遊んだ記憶は少ないかもしれませんね。 ただ、今も残る真理さんのFMラジオの会話のごとく、けっこうおてんばで、いつも近所の男の子を泣かしていたのでしょうか。

 彼女はその後、妙齢にて天地真理と称し、明るきファルセットで、われわれに、男女区別せず楽しみや歓びを与え、今も珠玉の歌唱コンテンツ(Sony Music)で癒しを与え続けています。

 そうですね、真理さんは、「ああ、日本のどこかにあなたを待ってる人(ファン)がいて♪」、良い意味でリアルタイムで、その人びとを泣かせているのです。昨日のFM軽井沢、天地真理ミュージック・コレクション、電波で空に広がる 「告悔(こっかい)」 (さだまさし作詩・作曲、ライブ「私は天地真理」より)、天性のやさしきファルセット、正直、子供のように涙ぐみました。

MH02 戦前の時代と文化


 前回から天地真理さんの半生を、激動の昭和の時代、歴史から考えてみたいとの記事を始めましたが、昭和30~40年代の高度成長期に進む前に、ちょっと振り返ってみたいことがあります。
 それは、「戦前」です。
 よく年配の方々は「昭和一桁代」と自分の生まれた時代を呼称されます。
 小生など戦後生まれは、日本の現代史、世の中の歴史を、終戦の昭和20年(1945年)を起点として考えるのですが、
 「泣いて笑って夢に生きた昭和時代」 昭和倶楽部編 (成美堂出版,2013.9.15) 
からは、昭和8年の国連脱退から暗い戦争に突き進む日本軍部の動きや激しい思想弾圧(昭和8年の小林多喜二惨殺ほか)と共に、現在につながる明るい話題もあり、今も繰り返し名前の挙がる歌手、作曲家やスポーツ選手が挙げられています。
 一読して私の目に留まったのは次の方々でした。

1)文化・イベント
 昭和6年 古賀政男&藤山一郎(古賀メロディとバイト歌手)・・・戦前、戦後、ヒットした歌謡曲の担い手(影を慕いて、酒は泪か溜息か、丘を越えていこうよ、東京ラプソディ、青い背広で)。
 明治大学を卒業したばかりの古賀は人生に絶望し、宮城蔵王山麓の青根温泉逗留中に名曲「影を慕いて」の曲想を得た。この曲を、東京音楽学校(現在の芸大)声楽家に学ぶ増永丈夫(藤山一郎)が大学に内緒にアルバイトでレコード吹き込み。これが大ヒット。藤山一郎は作曲家・弘田龍太郎らの口添えで、学校の処分は停学一か月で済んだ。藤山一郎さんは亡くなるまで、NHK紅白歌合戦で「ほたるの光」を指揮されました。

 古賀氏と藤山氏
 「影を慕いて」の吹き込みで古賀政男(左)と藤山一郎

 YouTube 「影を慕いて(ギター歌曲)」藤山一郎

(※)天地真理ファンの皆様へ;最初、上記にアップし、著作権者に消去された「古賀先生、藤山一郎さん、つめ襟学生服の明大マンドリンクラブの皆さんの名演」は、1976年(昭和51年)、NHKとみられる放送でした。・・・お気づきのように、この年4月に真理さんは東京・芝の郵便貯金ホールで、伝説のコンサート「私は天地真理」を行いました。駆けつけた、森光子さん、太田裕美さん、アンコールで真理さんのそばでマイクを持った青いセーターの青年。すべて同じ年の出来事でした。「昭和一桁の懐かしのヒット曲を演じられる総国民的人気の先生方」、そして「コンサートでファルセットを自由に操る戦後高度成長期のスーパーアイドル天地真理さん」。時は、同じように流れていたのでした。 映像の画質から、どこか時代が感じられました。

 昭和9年 東海林太郎と高峰秀子。売れっ子男性歌手は天才子役と日比谷公会堂の特別ショーで運命の出会い。養女縁組の申し出もかなわず、歌手と子役の出会いとわかれ。・・・しかし、二人とも戦後も大活躍しました。東海林太郎は直立不動のスタイル。天地真理さんの全盛期もテレビにご出演しました。真理さんの初コンサートも日比谷公会堂で、「真理ちゃんと日比谷でデイト」でしたね(昭和47年[1972年] 5月28日)。

 スポーツ選手1:三段跳び・織田幹雄(アムステルダム金)、中・長距離走・人見絹枝(800m走・銀)、暁の超特急・吉岡隆徳(昭和10年、世界タイ記録、100m走10秒3)、前畑秀子(昭和11年、ベルリン、200m平泳ぎ・金)ほか・・・・・これらの有名選手は、語り継がれる有名なオリンピック選手。今でも、日本人が活躍するときに「~選手以来、久々のメダル」などと表現されます。

 スポーツ選手2:沢村栄治・・・昭和9年来日した大リーグ選抜(ベーブ・ルース、ルー・ゲイリック含む)相手に敗戦投手となるもルー・ゲイリックのホームラン1失点完投、アメリカにも知られた東京巨人軍投手。戦争末期、搭船の輸送船が東シナ海でアメリカ軍潜水艦に撃沈され帰らぬ人に。現在大リーグを代表する活躍のダルビッシュ君もマー君も、年間最優秀投手「沢村賞」を受賞しています。

 昭和5年、林芙美子「放浪記」・・・森光子さん演劇のロングラン、文化勲章、国民栄誉賞。天地真理さんの尊敬する第二の母の原点は、戦前にあるのですね。一昨年、森さんが亡くなられて(2012年、平成24年11月10日、92才没)、手記など出版ブームがありましたが、浅田美代子さんの名は出てきても、天地真理さんの名前は見受けられませんでした。特別な配慮があったのでしょうか。

 昭和9年、忠犬ハチ公・・・渋谷駅前の銅像設置(彫塑家・安藤照作)。秋田犬ハチは上野英三郎農学博士の飼い犬でした。焼き鳥が好きな犬ちゃんでした。(天地真理さんの全盛期、ウナ重がお好きだったそうですが、焼き鳥もお好きですよね?)

2)今も日本人が恩恵をうける科学技術や社会資本
 弾丸列車計画・・・レールを広軌(日本の在来線は狭軌)にして、全線踏切のない立体交差式の線路を新設し、時速200kmの高速列車を運行し東京-大阪間を三時間半で結ぶ計画で、昭和39年に開通した東海道新幹線とほとんど同じものでした。戦前の研究、満鉄での広軌列車の建設と運行、日本坂トンネルの戦前の掘削・・・これらが大いに役立ち、着工からわずか5年で東海道新幹線が完工し、東京オリンピックに間に合ったのでした。今では、10~15分間隔で走る東海道新幹線。・・・天地真理さんの大好きな森光子さんへの墓参。だからあなたは京都へ行くの~♪で、真保さんと楽しい列車の旅をしてくださいね。

 世界に突出する新幹線車両・運行管理技術・・・戦闘機設計に関連した流線形車体、振動対策、ATC自動列車制御(衝突防止)通信システム・・・世界一安全な高速鉄道。台湾新幹線完成、アメリカやベトナムでは採用はどうでしょうか?
(参照:コミック版プロジェクトX挑戦者たち、原作・監修/NHKプロジェクトX制作班、作画・脚本/六田 登、2001)

 国産旅客機YS11・・・ゼロ戦などの戦闘機設計技術者が大きく貢献しました。設計者をテーマにしたジブリ作品「風立ちぬ」が昨年話題となりました。ユーミンのひこうき雲は名曲。天地真理さんの「ひこうき雲」(失恋歌)とは曲の背景が異なります。

 巨大タンカー、大型客船・・・戦艦大和などの造船技術が、継承されているものと思われます。・・・「横浜港から真理さんと楽しいクルーズ!」なんてあったらいいですね!真理さんの笑顔とやさしいお声にまたお会いしたいですね。(外野席から「じゃあ、今月、京都に来れば。」)

 八木アンテナ(昭和3年、1928年)・・・東北帝大八木秀次教授の研究成果で宇田新太郎助手が実用化したアンテナ。この通信技術を活用し敵連合国はレーダーを開発。情報戦にやぶれた日本海軍。戦後、高度成長期でも「見えすぎちゃって困るの~」の色っぽいテレビCMがありました。実際、米国のレーダーは、日本軍にとっては、知られちゃって困る重大な情報を探知、致命傷を与えました。(昭和17年ミッドウエー海戦など)

 昭和10年代は、暗い戦争の記録が主です。

 昭和8年(1933年) 満州国安定支配に批判され国際連盟脱退。(松岡洋右「国連よ。さようなら」)
 昭和12年(1937年) 中国と開戦(盧溝橋事件、南京突入・大虐殺)
 昭和16年(1941年) アメリカと開戦(ハワイ真珠湾攻撃、大東亜・太平洋戦争)

 小生の亡き父は大正12年生まれ。関東大震災のあった年です。父は千島の戦場に出兵しソ連に捕虜となりました。虜留中、食中毒にも会い、衰弱してなお懸命に帰国しました。
 また今も元気な母(88才)は大正15年(昭和元年と同じ年)生まれで、何人もいる兄弟の長女。終戦の年は二十歳でした。三陸海岸の製鉄所と鉄鉱石鉱山の町で米軍の艦砲射撃を経験しました。アメリカ機が上空で旋回するとそこに海に並んだ戦艦から大砲の弾が雨のごとく降り注ぐのでした。

 真理さんのお母さんも、また詳しくは報じられたことのないお父さんも、当然、終戦前のお生まれです。東京大空襲には会われたのでしょうか。
 先に申したように戦後生まれは、すべて昭和20年から、今の時代が始まったと思いがちですが、国民的スーパーアイドル「天地真理」を作り上げたレーベルCBS・ソニーと渡辺プロダクションの経営者や主要スタッフも、戦前生まれだったでしょう。
 はるかなる高温・密林のインパール戦も厳冬・寒冷地のシベリヤ虜留も当然、ピカドンの広島・長崎も、若き特攻隊も人間魚雷も、皆な、過酷過ぎる戦争時下の日本人の生き様と累々とした屍をもたらしました。思えば、日本人なら皆、目も頭も心も、グラグラまわり苦しくなります。

 りんごの唄 並木路子

 その後の高度成長期も、今の高値・低成長期も、皆、外国人も含めた「人に非ず」(非国民のことではなく、人間の尊厳が無視された恐ろしい状態)の人生を生きた、あるいは亡くなられた諸先輩のおかげであると、しかと心することは日本人の暗黙の了解でしょう。ただし、今の日本の平和は大国の力の均衡がもたらしています。今も行われる具体的な防衛議論はむずかしい話ですが、世界では平和を維持することは、個人が自らの健康を維持するために健康診断を受け、時に治療や投薬を受けることと同様に、すべての国民の義務と権利であると思われます。

 長崎の鐘藤山一郎
   戦後の藤山一郎さん「長崎の鐘」を歌う

 再び藤山一郎さん。昭和を代表する国民的名歌手。クラシックを学び、ポピュラーと中間的な歌唱法で、戦前、戦後ともに大ヒットさせた方。戦時中はインドネシヤの慰問団、そして捕虜生活。悲しき名曲と「東京ラプソディ」、「青い山脈」など、目いっぱい明るい歌唱で復興を目指す日本人を元気づけました。まさに、尊敬し慕われる国民栄誉賞にふさわしい歌い手でした。

 青い山脈/藤山一郎 昭和24年

 クラシックの歌唱法をベースとする国民的人気歌手。・・・・・天地真理さんも、藤山一郎さんの系譜を継ぐ者だったのでしょうか。
 天地真理さんの珠玉のファルセットをCD音源やテレビ放映などの秘蔵動画で堪能できる今、平成時代。すべては、戦前、戦中の文化と過酷な日本人の命と人生を引き継いだ歴史的存在[Sein]と思う次第です。そして、真理さんの天性のファルセットによる名曲・名唱のすぐれたコンテンツは、苦悩する人の心を支え、どんな時も希望があることを教えてくれるものと思います。

 水色の恋GB

 それでは、次回からは、天地真理さんの誕生年、昭和26年以後の時代を、出来るだけ明るく楽しく考えてみたいと思います。全盛期からの熱烈な真理さんファンの皆様の明るいブログにはとても肩を並べられませんが、どうぞ、ゆったりと気長に気楽にお付き合いください。
この節、おわり

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hatogairu kouen

Author:hatogairu kouen
明るき癒しの歌声、天性のファルセットを紹介し、悩める日本人を応援します。

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