MW03 この道は長いけど歩きながら行こう


 吉永小百合さんは、東日本大震災復興支援のCDを発表しています。震災発生から約半年後、東京で手渡し会が開かれました。

 吉永さんは全国民が知る大女優ですが、現役として主役を演じ続けていています。今年、2014年9月1日、カナダの第38回モントリオール映画祭で、初プロデュースし、かつ主演した「ふしぎな岬の物語」が審査員特別賞グランプリを受賞しました。演ずる心中には震災の影響もあったそうで、海辺の普通の人々のあたたかい絆を表現されました。
 
 小百合さんの来し方をあらためて調べてみると、東京オリンピックに前後し、1960年代から1970年代前半に、爆発的な人気を得た、美しく、かわいらしく、快活な女優さん、今風にいえば超国民的アイドルでした。日本映画産業の斜陽後、大人の女性を演ずるべく、男女の性愛表現にも女優魂を発揮して頑張りました。これが、その後の反原発への詩の朗読に代表される運動、そして心温まる大女優の演技につながっているのではないでしょうか。

  震災復興アーティストまとめ

  吉永小百合震災チャリティーCD
 
  さゆりさんからの手紙

    吉永小百合 「寒い朝」/マヒナスターズ

  勇気あるもの

     「勇気あるもの」 吉永小百合

  発売元:ビクターエンタテインメント
  一部モノラル
  収録情報《1枚組 収録数:18曲》
   1.吉永小百合からの手紙
   2.寒い朝 with 和田弘とマヒナスターズ
   3.いつでも夢を with 橋幸夫
  《モノラル》
   4.風と樹と空と
   5.太陽はいつも
   6.泥だらけの純情
   7.若い東京の屋根の下 with 橋幸夫
   8.光る海
   9.美しい暦
   10.若い風
  《日活配給映画「青春のお通り」より》
  11.太陽が真上に来るとき
  《日活配給映画「私、違っているかしら」より》
  12.ユキと九太の人形劇 with 坂本九
  《日活配給映画「ひとりぼっちの二人だが」より》
  13.ねむの木の子守歌
  14.娘たちはいま
  15.恋人たち with トニーズ
  16.みんなで行こう
  17.明日は咲こう花咲こう with 三田明
  18.勇気あるもの with トニーズ

  若い東京の屋根の下

   橋幸夫 吉永小百合/若い東京の屋根の下

 復興支援の為に吉永さんはこのCDの印税の全額を寄付されました。感激して、私も遅ればせながらCDをネット通販で購入しお聴きしたばかり。小百合さんのお手紙も朗読も素晴らしい。歌唱は若い時の高音のものが多いのですが、東京オリンピック以降の昭和40年代からは、最近のやや低いお声になっています。選曲は主に吉田正さん作曲、佐伯孝夫さん作詩のもの。寒い朝、いつでも夢を、若い東京の屋根の下、ユキと九太の人形劇(坂本九とデュエット)、ねむの木の子守唄(作詩:美智子妃殿下)、明日は咲こう花さこう、勇気あるものが、特に印象に残りました。本当に、吉永小百合さんは心の温かい女優、大変やさしき人間味あふれる大スターですネ。

 さて、あの震災の後、天地真理さんのファルセットを再発見し、日々癒されている自分としては、震災の被災地や今回の広島などの豪雨災害の被災地に、天地真理さんのあたたかい歌声を届けたい気持ちがあります。トップアイドル後、波乱万丈の御苦労をされたことも理由のひとつです(程度は違いますが吉永さんと少し似ているかも)。各地の災害FMにFM軽井沢の番組を提供したり、吉永さんのように真理さんのイベントでご本人や真保さんからCDを手渡すこともできますね。

 映画人として活躍する心優しい表現者「吉永小百合」さんは別格として、真理さんの1ファンとしては、やはり真理さんの癒しの歌声で構成する、苦渋にも耐えて明るく生き抜く歌姫・天地真理の歌唱音源を、疲労した地、がんばる人々に届けたいですね。

 私、個人的に、真理さんの仮想企画CD、『あなたの心に届けます!いやしの歌声・天地真理』には、とりあえず20曲、次のようなものが思いつきます。

 1.水色の恋・・・・・ライブ(天地真理オン・ステージ)
 2.この広い野原いっぱい
 3.ひとりじゃないの
 4.季節はずれの白いボート
 5.あなたが教えてくれた歌
 6.白いバラの道
 7.君よ知るや南の国(ミュージカル)
 8.気が合う同志(ミュージカル)
 9.天使の約束(ミュージカル)
 10.愛する人に歌わせないで・・・ライブ(天地真理オン・ステージ)
   
   11.夏を忘れた海・・・・・ライブ(私は天地真理)
   12.童話作家
   13.涙は明日に(作詩:北山修,作曲:杉田二郎)
   14.朝のさざなみ
   15.春の風が吹いたら・・・・・ライブ(私は天地真理)
   16.あの素晴らしい愛をもう一度
   17.小さな人生
   18.涙から明日へ(堺正章&天地真理)
   19.ひとりじゃないの(Mプロジェクト)
   20.子守唄 母の愛・・・演奏:天地真理クラシック・ユニット

 皆さんは、どんな選曲が良いと思われますか?

MH05.1 舟木一夫さん 変わらぬ歌声!


 幼き日、小学生の頃、舟木一夫さんの歌をよく聴いていました。すがすがしい美声でした。映画やテレビで共演された松原智恵子さんもよく覚えています(後に「時間ですよ」の奥様)。
 舟木さんは、「高校三年生」であまりにも有名ですが、学園ものが続けてヒットしたり、「絶唱」などの文学的な情緒豊かな歌を歌われ活躍しました。
 また、私事ですが、家内がカラオケで十八番の「銭形平次のテーマ」は、生き生きとした江戸っ子おかっぴき、表現力も他の歌手の追従を許しません。
 低迷期、三度の自殺未遂を乗り越えて、いつも元気な橋幸夫さんは別として、この時代の男性スター歌手として、当時のファンを大切にし、ゴールデンな輝きを示し、コンサートを続けています。
 すがすがしい美声、誰もが知る国民的な超人気歌手。まじめでやさしい、繊細な人柄。絶望的な不遇期を乗り越えた日本を代表する歌手、舟木一夫さん。

 やはり同じような経緯をたどった、われらが「国民的スーパーアイドル天地真理さん」。ただし、舟木さんのように歌のうまさを、全盛期は広く国民に周知されなかったという、真理さんの悲劇。天地真理さんを当初から、そして再発見して応援する仲間の皆さんの思いは、本音では、「NHKホールの懐かしのメロディー」で、生き生きと主役であられる舟木さんに、続けと願う気持ちがあります。ただし、ご苦労され全盛期のファルセットが出せない今の真理さんに、精神的に負担をかけたくない、プレッシャーなどかけたくない、というのもファンの確かな気持ちです。今年は、スクリーンコンサートの定例上映が行なわれ、これから四つのイベントがあります。真理さんが、こころ穏やかに、お好きな歌を、歌われたり口ずさんだり、ピアノやギターを弾かれたりしてほしい。やはり、われわれは、天地真理さま、大好きですネ。

四天王のうち三人
四天王のうち御三人(三田明、舟木一夫、西郷輝彦)

舟木一夫・松原智恵子・トニー谷(学園広場,高校三年生)

 ネット百科事典 Wikipediaによると、舟木一夫さんのデビューから今日までの概要は次の通りです。
A)デビュー
 昭和38年(1963年)6月5日、デビュー曲は恩師遠藤実作曲、日本コロムビア専属だった丘灯至夫作詞の「高校三年生」と決定した。4月で高校を卒業していた舟木だったが、「学生服で行け」という遠藤実の指示で、歌謡界異例の学生服デビューとなった。 「高校三年生」は、発売1年で100万枚の大ヒットを飛ばし、舟木は第5回日本レコード大賞新人賞を、丘は作詞賞を受賞した。デビューから2ヵ月後、本人が主演した同名映画も大ヒットし、舟木は一躍スター歌手になった。それに続き、学園三部作と言われた「修学旅行」「学園広場」もヒットした。

B)スター歌手に
 1970年前後には、こうした青春ソング以外にも時代モノ、民謡調などの歌にも独特の持ち味で数々のヒットを飛ばした。テレビ時代劇『銭形平次』のテーマソングも、番組のロングランもあって舟木の歌としてよく知られるところとなった。
 また特に詩歌、文学をモチーフにした叙情歌謡と呼ばれるジャンルでは持ち前の歌唱を活かして第一人者的存在となり、「絶唱」「夕笛」「初恋」などがヒットし、1966年には「絶唱」で第8回日本レコード大賞歌唱賞を受賞した。このジャンルとしてはその集大成ともいうべきアルバム『その人は昔』がある。これは作家松山善三の長編抒情詩を正味1時間すべて舟木の歌唱で埋めるという、前代未聞の作品であり 舟木の歌唱力が最大限に発揮されている。更にこの作品はLPとしては当時記録的な売上となり、後に舟木と内藤洋子の主演により映画化された。

C)低迷期
 1969年までは名実共に高い人気を保持していたものの1970年に入ると、かねてより多数出演していた歌謡映画が廃れ、TVドラマへの需要が無くなり、それに追い討ちを掛けるが如く歌謡界の変化に伴い表立った仕事は激減し舞台と地方公演が主な活動の場となってゆく。
 1970年と1971年に自殺を図るが未遂に終わる。1972年、心身不調により3度目の自殺未遂を起こしている。1973年、再び心身の不調のため翌年まで10ヶ月間静養。しかし1974年、NHKテレビ『思い出のメロディー』で復帰。

(編者コメント1)舟木さんのつらいこの頃は、なんと、天地真理さんのデビューから数年、全盛期にあたります。旬の歌手、ヒット曲は、「めぐるめぐるよ時代は変わる」ということでしょうか・・・・

D)変わらぬ歌声は復活ス!
 その後十数年に渡り不遇時代が続いたが、デビュー30周年プレ公演を機に、主に中高年女性のアイドルとして人気再燃、そのなかで「同じ青春を過ごした仲間にしか通用しない歌い手でいい」と述べている。そして1999年には中日ドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ!'99」を歌い(舟木自身も大のドラゴンズファンである)、25年ぶりにオリコン40位ランクインを記録。
 2007年にはデビュー45周年を迎え記念コンサートを行う。そして「単なる流行歌でない。何も変える必要はない。これでいい」と述べている。
 現在も、歌手としてテレビやコンサートで精力的に活躍しているほか、舞台俳優としても毎年座長公演をこなし、幅広い層から根強いファンを集めていることで知られている。

 今も熱唱! 舟木一夫 ♪ 高校三年生 オン・ステージ

(編者コメント2) そうですね、コンサートの模様が、テレビで時々特集されます。「単なる流行歌でない。何も変える必要はない。これでいい」・・・すばらしいですね。とくに「高校三年生」は、舟木一夫さんでなければ全くダメ、あの前奏と舟木さんの第一声、東京オリンピックのあったあの活気あふれた時代に、一気にワープします!!


MH05 昭和30年代後半 「いつでも夢を」 真理さん中学生に



 昭和30年代後半(1961年~1965年)は、昭和39年(1964)開催の東京オリンピックに向けての高度成長期で、東海道新幹線や首都高速道路など、日本の中心のインフラが急ピッチで建造された時代です。
 天地真理さんは9才から14才。小学校中~高学年へと成長し、国立音大付属中学の入試をへて、同中学でピアノの専門教育を受けながら多感な思春期を迎えていました。
 真理さんは小学5年生(昭和38年)ころに、お母さんから88鍵のアップライト・ピアノを買ってもらい、床の間においていつもちゃんと練習してから国立音大生の岡田先生のレッスンに通いました(天地真理ファンクラブ会報13号,2014.7.20)。ピアノは、ドイツ製ハンマーなどを使ったハンドメイドピアノで、Kreutzer社(日本国内静岡のメーカー)の製品だったと言われています。ヤマハや河合のようにメジャーではありませんが、調音すると素晴らしい音色を奏でるピアノで、根強い人気があるようです。お母さんが真理さんに対して愛情を注いだゆえのピアノだったと想像いたします。

 この時代は、日本全体が急成長する活気にあふれた時代で、プロ野球なら長嶋選手と王選手、いあわゆるONが、大相撲なら大鵬、柏戸の活躍した時代。
 流行歌なら三波春夫(東京五輪音頭)、村田英雄(王将)の両浪曲演歌歌手、若さあふれる坂本九、橋幸夫(潮来笠)、舟木一夫(高校三年生)、三田明(美しき十代)、天才女性デュオ・双子のザ・ピーナッツのヒット曲の数々。

   坂本九 「上を向いて歩こう」(Sukiyaki) 全米一位 1963

   ザ・ピーナッツ ふりむかないで (1962)

 TVドラマなら印象深い渥美清や青島幸男の「泣いてたまるか」。
 漫画・アニメは鉄腕アトム、8マン、鉄人28号、おそ松君。
 そして、スクリーンでは光輝く女優、アイドルともいえる吉永小百合さんが活躍しました。

 
  安達明/女学生(1964)/吉永小百合

 itsudemo

 いつでも夢を/吉永小百合(第2版)/ Sayuri Y. fan
   
 明日は咲こう002

 吉永小百合&三田明/明日は咲こう花咲こう 1965.4


MH04 昭和30年代前半 真理さんの幼児~小学生低学年


昭和30年代前半は、次のような社会現象や出来事がありました。
(注)昭和33年生まれの編者には、残念ながら記憶がない時代です。

・昭和30年(1955):「三人娘」 美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみ
 三人の若き美女は、仲良くスクリーンの「ジャンケン娘」で明るい歌や笑顔を振りまきました。
 後の「新・三人娘」(南沙織、小柳ルミ子、天地真理)の元祖に当たります。
・昭和33年(1958):12月23日東京タワー完成(高さ333m)。主にテレビおよびFM局の放送に日々活躍することになる電波 塔。ゴジラやウルトラマンの活躍の場となる。
 また、大衆のマイカーにとスバル360ccが発表され、後の車社会の先鞭となる。
・同年 巨人軍・長嶋茂雄誕生、国鉄スワローズの金田正一投手の前に、四・三振のデビュー
・昭和34年(1959):皇太子(現天皇)、美智子さま御成婚
 この間、石原慎太郎氏の「太陽の季節」芥川賞受賞、弟君・石原裕次郎の日活映画大活躍がありました。
・昭和35年(1960):安保反対。全学連10万人の国会前デモ行進。東大生・樺(かんば)美智子さん死亡。
 しかし、日米安全保障条約は六月十九日午前零時に自然承認される。
 学生の虚構な心に、西田佐知子さんのヒット曲『アカシヤの雨がやむとき』、有名な歌詞「このまま死んでしまいたい」が身に染みたとも言われる。

 昭和35年(1960)、天地真理さんは8~9才でした。真理さんは、小学二年生、世田谷区上北沢に住んでいた頃、国立音大に通う女子大生の岡田先生にピアノを習い始めました。静かに歌手・天地真理さんの人生が始まっていました。
 [詳しくは天地真理ファンクラブ会報 Vol.13(2014.7.20)で、真理さんが語っています。]

MH02.1 日本人の心について

 

 8月となり、子供たちや学生は夏休みですが、大方の日本人は、お盆休みを除くと、真面目に労働するという勤勉な国民であります。国民皆が認めるように、エネルギー資源や鉱物資源をほとんど持たず、勤勉な労働と科学技術のみが利潤をもたらす小さな島国ですから。

 1930年代から終戦の1945年まで、日本人は日中全面戦争および真珠湾奇襲から大東亜、太平洋戦争終結まで、懸命に生きた時代でした。
 ことに最後の昭和20年、アメリカ軍の猛攻による沖縄の激戦、戦艦大和(すなわち日本海軍)の最後、B29による本土空襲、8月6日の広島および8月9日の長崎の原爆被爆、8月15日の玉音放送と終戦、これが語り継がれる日本人の苦闘の歴史です。

 戦争は、日本国民を苦しめ、隣国・アジアを苦しめた事実と、最近指摘される欧米に植民地化されていたアジア諸国を独立させる勇気をアジアの人々に与え、戦後次々とアジア諸国が独立したという事実の双方があり、おそらくもっと多面的な要因もあるのかもしれません。
 いずれ、ある面のみの偏った評価は、日本人の心に強い屈曲を与え、後の時代に悪影響をもたらしかねないと思うのです。
 決しておごらず、かといって、勇敢にたたかった日本人には、平和なアジア共同体を作り、日本にも安定なエネルギーや資源が確保できるように強力な友好関係を築きたいという要求があったはずです。
 一方、日本や中国の貢献や投資によって、東・東南アジア、インド、トルコなどの西アジア、中南米、アフリカの経済や科学技術力が発達すると、今後、欧州の地盤沈下、アメリカの相対的な力の低下がみられることになるでしょう。この中で、様々な国際間の衝突や多民族国家の内紛が生じると思われ、事実そのような事態に苦しむ国家もあるわけです。

 話はかわりますが、日本人の女性、特に良き妻に「才長けて見目麗しく情けあり」とは、昔からの日本人の理想です。時は現代、日本人の女性はどうでしょうか。今時の人気のアイドル・女優(堀北真希や能年玲奈、AKBなど)、かつての人気アイドル・歌手、三人娘(美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみ)、吉永小百合、新・三人娘(小柳ルミ子、天地真理、南沙織)、中三トリオ(森昌子、桜田淳子、山口百恵)、キャンディーズ、ピンク・レディー、夏目雅子、小泉今日子、松田聖子等々・・・皆、実際的に「才長けて見目麗しく情けあり」、賢く、きれいで、やさしく、がんばり屋と思われます。日本人の求めるものは、やや男目線かもしれませんが、上は皇室から下は身内の妻や娘まで、このような片鱗があると思うのは、私だけでしょうか。「カワイイ」という日本的な形容詞をはじめとし、このことは日本の歴史や風土なのでしょうか。

 昨日、ケーブルTVでふと「加藤隼戦闘隊」の映画(カラー版)を観て、ひどく感動しました。隼(はやぶさ)は、海軍のゼロ戦とならび称される陸軍の主力戦闘機でした。この隊を率いた加藤建夫隊長(最終位・陸軍少将)とその部下の活躍は、ゼロ戦や海戦の多少の知識しかなかった私には衝撃でした。このような記録は、現在、学校教育では禁止されておりますが、加藤隊長が戦死した部下や家族、そして家を守る細君をいたわる精神は、やはり、それも、「良き日本人の心」を表していると思うのです。

ああ陸軍隼戦闘隊001
ykazssさん あゝ陸軍 隼戦闘隊

  喧嘩は、その戦いがひどい激戦であっても、また理由のある戦いであっても、勝った側には「あの時のことは忘れましょう。」と言えますが、負けた、辛酸をなめた側には、いつまでも忘れられない苦しみとなって、末代までも続く不の感情となります。あの韓流ブームも日韓ワールドカップ同時開催も、韓国人の本当の気持ちを変えるものではなかったようです。先に述べたように戦争には、日本の立場もあったわけですが、韓国人・朝鮮人民、中国人民の心の深い傷も、末代まで続く苦しみであったと、やはり認識せざるをえません。一方、日本国民、特攻や激戦に逝った日本人、原爆に被ばくし得体のしれない悲惨さに苦しんだ方々も、大変な苦しみだったことには、苦痛として変わりはないと思われます。

 「加藤隼戦闘隊」は、職業軍人(航空学校教官)で人格者の隊長が率いる人間的な集団ですが、インドネシヤのパレンバン油田確保の大活躍など、ご批判もあるでしょうが、日本人として心躍る活躍が描かれています。そして、70年以上前に、このような戦闘をする日本人が、常に専制国家北朝鮮のミサイル発射におびえ、中国や韓国が話し合いよりも準軍事的行動で恒常的に領海侵犯する近年、集団的自衛権の延長で、いつ、自身が隠れもっている「加藤隼戦闘隊」の活躍に心躍る、日本人の心の一面に火がつかないかと、強く心配になります。

Tateo Kato Hayabusa
加藤建夫 隼戦隊長 (撮影1942年)

 加藤隼戦闘隊の隊歌とその飛行の様子です。
 ShVAK20さん 加藤隼戦闘隊-Kato Hayabusa Fighter Wing-
 インドネシアのパレンバン油田の確保には落下傘部隊が活躍しましたが、加藤隼戦闘隊の援護が大きな貢献をしました。
 空の神兵
 次は加藤隊長の部下、檜(ひのき)さんのお話です。空中戦で被弾し片足を失いましたが、意識朦朧とした中、亡き隊長に励まされ生還されたとの話が伝わっています。
 隼を語る/檜與平 エースパイロットの証言

 閑話休題、ここで海軍の方ですが、ゼロ戦で有名なラバウル航空隊の歌をお聴きください。ずいぶん元気な軍歌なので、南洋の戦いが激戦となる前、日本海軍の戦績が良かった初期のものなのでしょうか。
 《軍歌》ラバウル海軍航空隊( Rabaul Naval Air Corps)

 さて、真理さんは、今年、2014年7月30日発売のゴールデン☆アイドルのシングルジャケット集の巻末で、「あの頃はファンの為に生きていました。今は娘もいましてファンの為だけでなく私の為にも生きています。」とおっしゃられています。真理さんは外国人のファンの方とも英語で静かに流暢に会話される才長けた方です。かつて、誰もが目を見張る「麗し」のかわいいアイドルでしたが、その本質は「情けある」心優しき女性であるということでしょう。(私個人は昨年、新宿のスクリーンコンサートで、短くご挨拶し、握手していただいただけですが、それでも、何度も会われたファンの方々の感想が良くわかります。)

 真理さんは、国民的スーパーアイドルの二十代の後、三十代でカメラの前で裸身をさらし、その後もコメディエンヌ的にひょうきん族や他の類似の番組にも出演されました。その中で、あれほど光り輝いた「白雪姫」を捨てざるをえない辛酸をなめました。事務所の方針や経済的な必要で、苦しい選択であったのでしょう。だからこそ、今、カメラの前、メディアの前に進んでは出たがらないと思われます。いつも明るい笑顔の下に、どれだけ、トップアイドルゆえの孤独感、そしてマスコミの有らぬ誹謗、中傷に苦しんだことでしょう。
 真理さんが「今、横浜の陽のあたる素敵なお部屋に住み」、一人娘・真保さんやご友人の来訪がよくあるとの近況を知り、真理さんが好んで歌う「小さな人生」を謳歌されていることに、静かに安堵する喜びを持つのが、真理さんファンの共通した感情ではないでしょうか。

 少し、とりとめのないお話となりましたが、歴史的認識は、嘘も、詭弁も、偏った見方も、いつも生じうることを念頭に置き、語り継ぐことで、致命的な誤りの繰り返しを未然に防ぐ一助になるのではないか。そう想う、真夏の杜の都、日曜の午後でありました。

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hatogairu kouen

Author:hatogairu kouen
明るき癒しの歌声、天性のファルセットを紹介し、悩める日本人を応援します。

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