MH09 カラーテレビの普及と真理ちゃんブーム


 日本のカラーテレビ放送は昭和35年、NHKと民放4局によって、試験放送がはじめられました。当初カラー放送は一日一時間。国内には白黒テレビの台数が大半であるため、カラー放送も白黒テレビで受信できるシステムで放送されました。この時代、昭和38~41年放送の鉄腕アトム、エイトマン、スーパージェッター等の人気テレビアニメや「ひょっこりひょうたん島(NHK人気人形劇)」からわかるように白黒アニメの全盛期で、子供たちは毎日わくわくしてテレビを見ていました。
 NHKは昭和39年の東京オリンピックで一部カラー放送を行い、衛星による海外向け放送を成功させ、ついに昭和41年(1966年)、カラー本放送に踏み切りました。その後、天地真理さんのデビュー翌年、昭和47年(1972年)、NHK総合テレビで全番組カラー放送を開始したのでした。

 「うちのテレビにゃ色がない。隣のテレビにゃ色がある。あらまぁ、きれいとよく見たら・・・」エノケンさんの三洋カラーテレビのコマーシャルはとても楽しい歌声でした。たしかに昭和39年(1964年)の東京オリンピック後、我が家もシャープのカラーテレビを購入したと記憶しています。このテレビで、日本で最初のフルカラーアニメ「ジャングル大帝レオ」(手塚治虫作品、昭和40年10月から昭和41年2月放送)を楽しみました。

   

 先日のNHK・BS、渡辺プロ創設者「渡辺晋」氏の特集番組にあったように、カラーテレビの影響力で、天地真理さんの国民に広く認知されたスーパーアイドル化は急速に実現され、一つの社会現象になったのだと思われます。以下は、天地真理プレミアムボックス解説書からの引用です。

 『天地真理が一世を風靡した1970年代前半は、カラーテレビが急速に普及した時代である。その普及率は70年には20%台だったが、真理さんがデビューした71年には40%を超え、人気が爆発した72年には60%台に、そして絶頂期の73年には80%近くへと、“真理ちゃんブーム”と比例するかのように飛躍的に伸びていった。カラフルな夢の世界を歌って国民的アイドルとなった天地真理は、まさにカラーテレビをステージに成長したと言えよう。デビュー作のTBSドラマ「時間ですよ」が、天地の登場した第2シリーズからカラー化されたのも象徴的である。
 そんな天地真理にとって、代表作と呼べるテレビ番組がTBSの真理ちゃんシリーズだ。アイドルの名を冠したバラエティー番組のルーツとも言え、毎週木曜日19時というゴールデンタイムに全国放送され高視聴率をマーク。30分という放送時間に歌とメルヘンの世界を凝縮した構成が、子どもたちの圧倒的な支持を得たのである。2クール(半年)ごとにタイトル、内容をリニューアルしながら実に2年半も続く人気番組(5タイトル)となった。』(天地真理プレミアムボックス解説書,DVD真理ちゃんシリーズ,p2,一部加筆)

カラーTV天地真理004-200

冠番組「真理ちゃんとデイト」など、みずみずしい若さの天地真理様

PAKURONさん 天地真理/ビビディ・バビディ・ブー

 以上で、予定していた戦前、戦中の昭和から戦後の高度成長期まで、国民的スーパーアイドル天地真理誕生の前史を、拙い文章ですが、概略、記してみました。天地真理さんの全盛期のコンサートやテレビスタジオに行った経験のない私ではありますが、これからもファンクラブの1会員として、真理さんの活躍した時代、真理さんの全シングル・全アルバム曲の個人的な分析などをテーマに不定期ですが書き続けたいと思っています。
 また、2011年3月の大津波から5年目を迎えた三陸海岸、仙台・福島沿岸の復興の話題や2019年ラグビーワールドカップに向けての郷里・釜石の様子を、つれずれなるまま書きたい!大災害を経て生きている証にです。とても乞うご期待とは言えませんが、皆様、よろしくお願いいたします。

MH08  1970年大阪万博 天地真理デビュー前夜その2


 1970年(昭和45年)は、斎藤真理さんは、国立音楽大学付属高校声楽科を卒業され、早稲田大学のフォークソングクラブに準会員として参加し、かつヤマハミュージックスクールのボーカルコースに通っていました。そして、この年11月5日、三重県合歓(ねむ)の郷で開かれたヤマハ「'70作曲コンクール」に斎藤マリの名で出場し、June Chun作詩・作曲の「OTHERWISE」を歌われたのでした。(注;現在、OTHERWISE、真理さんの歌唱も曲自体も次のブログに紹介された動画が削除されているため、残念ながら不明です。誰か歌や演奏をお願いしたいところです。)

  メロンパンさん 天地真理ものがたり デビュー前の歌「OTHERWISE」

 1970年、日本は高度成長期の真っただ中、3月14日、大阪万国博覧会が「人類の歴史と進歩」をテーマに開催され、日本中が大賑わいでありました。(閉会9月13日,会期183日)
 
   昭和時代大阪万博S45-200
   (泣いて笑って夢に生きた昭和時代 昭和倶楽部編 成美堂出版,2013年9月)

 大阪万博といえば、まず思い出すのは、<芸術は爆発だ!>岡本太郎さんの「太陽の塔」と、国民的浪曲歌手・三波春夫さんの「世界の国からこんにちは」の明るい歌声ですね。

   

   日本万国博覧会 EXPO70' OSAKA JAPAN
  
 さて、ネット上、大阪万博と天地真理、渡辺プロダクションをキーワードに検索すると、だいだらぼっちさんブログ「海神日和」に、「万国博と石坂泰三[われらの時代]」という次のような記事が見つかりました。

 『城山三郎が石坂泰三のことを描いた『もう、きみには頼まない』を読んだ。(中略)経団連会長の石坂泰三が日本万国博覧会会長を引き受けたのは、70年大阪万博の開かれる5年前で、79歳のときだ。佐藤栄作政権の通産大臣、三木武夫にしつこく頼まれ、ついに断れなくなった。』(中略)

☆Wikipedia(「石坂泰三」)
 『石坂 泰三(いしざか たいぞう、1886年(明治19年)6月3日 - 1975年(昭和50年)3月6日)は、日本の財界人、経営者。第一生命保険、東京芝浦電気(現・東芝)社長を経て、第2代経済団体連合会(経団連)会長(在任、1956年(昭和31年)2月21日~1968年(昭和43年)5月24日)。経団連会長を4期、12年務めた。経団連会長の異名 「財界総理」は、石坂泰三の活躍による。(一部加筆)(中略)1965年(昭和40年)11月に三木武夫通産大臣の要請で、人選が難航していた日本万国博覧会協会会長を引き受け、1970年(昭和45年)3月の日本万国博開催に漕ぎ着けた。(以下略)』

 『万博でポピュラー・ミュージックのプロデュースを担当したのはワタナベ・プロの渡辺美佐だった。おもしろいエピソードがある。ワタナベ・プロの新春パーティに石坂が出たときの話だ。〈はじめてこの種のパーティに出た石坂は、ある女性歌手がつけている名札に目をとめ、不思議そうに訊(き)いた。

 「きみ、どうして胸にそんな文句を書いているんだ。」

今度は、女性歌手がきょとんとした。文句など書いてはいない。天地真理とは、その女性の芸名である。石坂はそれを「てんちのしんり」と読んでいたのだ〉』
 『会長になってから4年4カ月、万博は無事、開幕し、夏休みには50万人から60万人もの入場者があるというほどの盛況ぶりだった。(中略)万博の入場者は当初の予想を大きく上回って6000万人台(6,421万人)となり、死者の出るような事故もなく無事に終わった。大きな不祥事もなく、赤字になって当然と思われたのに、200億円(約165億円ともいわれる)もの黒字決算となった。』( )内、一部加筆。

  大阪万博空中写真

  ブログ海神日和 万国博と石坂泰三

 ナベプロの渡辺美佐氏に歌謡イベントの大きな責任を担当してもらっていたことを差し引いても、彼女の傍らにいて紹介されたデビュー前の無名女性歌手の名札を凝視したことは、英雄色を好むとは言わずとも、財界の総理「石坂 泰三」氏が一瞬に若き真理さんの可愛らしさや明るい性格の良さに惹かれたからであり、逸話として語り草としたのはその後の彼女の国民的人気と経済効果を良く知っていたからではないでしょうか。

 渡辺美佐氏は、おもにビジネス目的と思われますが、ザ・ピーナッツや安井かずみさんと(後年、真理さんとも)ヨーロッパ旅行をされる大物。万博では音楽イベントのプロデュースをまかされ、2億円の予算があったとも言われますが、全イベントには予算が足りず、企業スポンサーへの資金援助依頼など激務であったことが想像されます。しかし、よく取り仕切り各イベントを成功裏に導きました。

   アラッポ・カーロの備忘録 大阪万博と渡辺美佐さん

 また、渡辺美佐氏の発案で創設されたスクールメイツも大阪万博のオープニングで、その後定番となったテニスルックのミニスカートとポンポンでにぎわいに花を添えました。その他、全国ヤング歌謡フェスティバルなるイベント、若手歌手とグループサウンズ約30名に対してグランプリを与える人気投票で、ナベプロのザ・タイガースがスパイダーズに敗れるなど、ご愛嬌も語り継がれているようです。

☆Wikipedia(「スクールメイツ」)
 1962年、渡辺プロダクションの渡辺美佐(現・名誉会長)が欧米研修から帰国した時に「本格的なジャズ・ポップスの合唱団をつくり後継者を育てたい」と提案。その翌年1963年、東京音楽学院が発足した。その中から優秀な生徒を集めて1964年に結成されたのが「スクールメイツ」である。当初は地方からの入学希望者も多く、1960年代後半~1970年にかけて全国各地(名古屋市、大阪市、福岡市、広島市など)に系列地方校が誕生し、そこから今日の芸能界を支える多くのスターを輩出した(キャンディーズ、太田裕美ほか)。1970年には大阪万博のオープニングイベントにも参加。そこで渡辺美佐プロデュースにより「女子メンバーがテニスルックでポンポンを持って踊るスタイル」が確立した。(一部加筆)

 ところで、冒頭でも触れたメロンパンさんのブログ「天地真理ものがたり」に、2009年10月19日の記事として「真理ちゃんのアルバイト」があります。
 『天地真理さんがまだ無名のころ、彼女が高校を卒業した翌年、1970年に大阪で万博が開催されました。その万博のパビリオンのひとつ、「電気通信館」で、真理ちゃんが司会のアルバイトをしていたらしいです。高校を卒業して、将来の進路を模索していた真理ちゃんの、意外な経歴ですが、あの当時の万博には多くの世界的なミュージシャンや演奏家も、招かれていました。真理ちゃんが、単なるお小遣い稼ぎだけで、はるばる万博でアルバイトをしに来たとは思えません。なにかしら有名なアーティストと接点を持ちたいという思いがあったかも知れません。"悲しき天使" で有名なイギリスの歌手 メリー・ホプキンスさんも、万博に参加されています・・・』

   maribaito2

   電気通信館携帯電話かな

   天地真理ものがたり 「真理ちゃんのアルバイト」電気通信館

   Mary Hopkin/Those Were The Days-Live at Expo'70 OSAKA

 デビュー前年の斎藤真理さん、万博でのアルバイトは司会業。これはナベプロ副社長・渡辺美佐氏、あるいは万博協会・石坂泰三会長のご紹介なのかもしれません。後に、ヒット曲連発で渡辺晋氏やソニーの会長から寵愛を受ける国民的スーパーアイドル・白雪姫は、このように当時、日本の最高峰だった経済や文化の実力者の下で形成されたのでしょうか。いずれ高度成長期の元気な日本人群像が成したひとつの社会現象だったのかもしれません。


MH5.2 女優・吉永小百合「キューポラのある街」

 
 週刊文春の5月7日・14日ゴールデンウィーク特大号で「戦後で最も美しい女優ベスト10」の特集があり、栄えある一位はやはり「吉永小百合さん」でした。モノクロ写真で紹介された銀幕女優10人、ちなみに二位は夏目雅子さん、三位は能年玲奈ちゃん、以下、原 節子さんから岸恵子さんまで、あまりに著名な女優の方々で、天地真理さんらの歌手・アイドルは含まれていませんでした。

   戦後女優No1吉永小百合

   女学生/歌:森昌子 映像:吉永小百合

 この記事でも、吉永さんの代表作に『キューポラのある街』(キューポラのあるまち)があげられています(映画カット)。この映画は浦山桐郎監督作品で、東京オリンピックの2年前、1962年(昭和37年)4月8日に公開されました。

   吉永小百合キューポラのある街

   キューポラのある街/歌:吉永小百合

 この映画公開の年は、天地真理さんがブレークした10年前。吉永小百合さんは東京オリンピックを前後して絶頂の国民的人気女優となり、アイドルというよりやはり「青春スター」の呼称がお似合いです。良い家柄のお育ちと言われますが、高校生で、この演技、やはり美しい名優だと思われます。また、当時の国民の誰もが知るように、橋幸夫さんとのデュエット曲「いつでも夢を」(1962.9.20リリース)は第4回レコード大賞受賞曲、すがすがしく元気になれる名曲(吉田作品)を、高音の可愛い歌声で歌いました。
 小生はこのころ幼稚園~小学校低学年、しかし、吉永さんの歌声や華やかな演技は、印象として良く覚えています。後に天地真理さんの冠番組を見ていたちびっこたちも、細かなストーリーや共演者の名前は覚えていなくとも、真理さんの美しさ、やさしい語りや歌声をよく覚えているのではないでしょうか。

 映画の概要は、Wikipediaによると次のようです。
『原作は早船ちよの小説で、昭和34年(1959年)から1年間、雑誌『母と子』に連載され、昭和36年(1961年)に弥生書房で単行本化され、昭和37年(1962年)に日本児童文学者協会賞を受賞した。財団法人大阪国際児童文学館(現・大阪府立中央図書館国際児童文学館)の「日本の子どもの本100選」に選ばれた。
 鋳物の街でキューポラ(鉄の溶解炉)が多く見られた埼玉県川口市を舞台とした青春ドラマ。主人公ジュン(吉永小百合演じる)の周りで起こる貧困や親子問題、民族、友情、性など多くのエピソードを描いている。
 ブルーリボン賞作品賞受賞作品。主演の吉永も今作でブルーリボン賞主演女優賞 を受賞し、大きく飛躍するきっかけになった作品である。

   映画「キューポラのある街」予告編

(映画脚本のあらすじ)
 中学3年の石黒ジュン(吉永小百合)は、鋳物工場の直立炉(キューポラ)が立ち並ぶ埼玉県川口市の鋳物職人の長女である。何事にも前向きで、高校進学を目指すジュンだが、父・辰五郎(東野英治郎)が工場を解雇されたため、家計は火の車で、修学旅行に行くことも諦めていた。
 自力で高校の入学費用を貯めようと、パチンコ屋でアルバイトを始めるジュン。担任教師の助力で修学旅行にも行けることになった。しかし、ようやく再就職した父親は、待遇が不満で仕事をやめてしまった。絶望したジュンは女友達と遊び歩き、危うく不良少年たちに乱暴されかけた。
 全日制の高校進学を取りやめて、就職を決断するジュン。北朝鮮への帰還問題で苦悩する朝鮮人の一家や、貧しくとも力強く生きる人々との交流を通じて、ジュンは、自立して働きながら定時制で学び続けることに意義を見出したのだった。』

 吉永小百合さんは1945年(昭和20年)、青春映画で仲の良いコンビだった浜田光夫さんは1943年のお生まれ。「いつでも夢を」のデュエット相手の橋 幸夫さんも1943年、「高校三年生」の舟木一夫さんは1944年の誕生とのこと。いずれも終戦の昭和20年頃に生まれ、1960年代、東京オリンピック準備中の高度成長期の日本でスターとなり、日本人を元気づけた有名な若者でした。波乱万丈の苦難を経た方もありますが、皆さん現役で俳優や歌手を貫いていて、戦後70年の今年、70才を越える分けです。これらの皆様にこそ2020年第二回東京オリンピックに後5年と迫ったやや閉塞感のある日本人に、あの快活な元気を思い出させるため「国民栄誉賞」を与えてほしいと思いますネ。

☆次のテレビ番組は、橋幸夫に追いつけ追い越せで誕生する舟木一夫物語。吉田 正門下、吉永小百合さんにも触れています。
   「舟木一夫」誕生~ザ・青春歌謡「高校三年生」


MH07 天地真理デビュー前夜 アポロ11号月面着陸(1969)


 天地真理誕生前夜の1969年(昭和44年)、斎藤真理さんは国立音楽大学付属高校の三年生、クラシック音楽の日々に疑問をもち、フォークソングに目覚めた時期だったでしょうか。
 アメリカ合衆国は、暗殺された大統領 ジョン.F.ケネディーの遺言を国の威信をかけて実現すべく、アポロ11号の月面着陸を成功させました。時代はアメリカとソ連の冷戦、軍拡・宇宙競争の時代でしたが、このニュースは、世界中、日本中を熱狂の渦に巻き込みました。1969年7月21日、私は小学6年生で、学校で月着陸の吉報を聞きました。

01われら月面に立つ-200

講談社、アポロ11号記念写真集、昭和44年8月発刊、全150頁
ソノシート(アームストロング船長とオルドリン、コリンズ両宇宙飛行士
のヒューストンとの交信)とステレオカード(イーグルの着陸の一瞬)付
今では三千円以上でしょうが当時は980円でした。

イーグル月と地球

アポロから見た地球アフリカ

ultmelodyさん 美しい星/新居昭乃 (Arai Akino) 1986

 ちなみに、日本は東京オリンピックから5年、まさに高度成長期で、山陽新幹線・関門海峡大橋・高速道路延伸・大ダム建設・国道の抜本的改良などインフラの整備が急速に進んだ時代でした。また、大気汚染、光化学スモッグ、工場排水による水質汚濁の公害が社会問題化しました。まあ、今の中国のような状況で、世界からはエコノミックアニマルと揶揄され、長時間労働が当たり前で、庶民の生活はさほど豊かではありませんでしたが、資本主義陣営でGNP世界第2位に躍り出た輝かしい時代でした。
 また、大学生が急増し、団塊の世代を中心とした若者文化の花が開いた時代。カラーテレビが普及し、同年10月から「ザ・ドリフターズの八時だよ全員集合」が始まり人気を博し、時代は国民的スーパーアイドル天地真理誕生の準備が出来つつありました。

 翌年、1970年(昭和45年)、日本の高度成長期のまっただ中で、大阪万国博覧会が開かれ、アポロ12号が持ち帰った月の石に長蛇の列が出来ました。私の田舎、東京からは遠い三陸海岸からも万博見物に行く人は少なくなく、中学生の私は行けませんでしたが、妹が団体旅行で行って貴重な経験をしました。

05月の石アポロ12号-200

大阪万博・アメリカ館に出品された月の石(子供の科学)

06日本人工衛星1号-200

 アポロ11号の偉業の翌年、1970年2月、国産人工衛星が初めて打ち上げ・軌道周回に成功しました。長さ1m、重さ23.1kg、世界で一番安価な人工衛星として紹介されました。先の大戦では世界をうならせたゼロ戦と戦艦大和・武蔵を作った高い技術をもつ日本は悲しいかな敗戦国、これぞ月とすっぽんのちいさな人工衛星でしたが日本人の気概を感じる出来事でした。まだまだ、これからと日本人は皆、そう思っていたのではないでしょうか。

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Author:hatogairu kouen
明るき癒しの歌声、天性のファルセットを紹介し、悩める日本人を応援します。

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