MR48 天地真理さんの好きな♪ fly me to the moon


 天地真理さんは今年6月、公式 Face Bookサイトで、次のように書き込みました。

   『皆様こんばんは。お元気ですか?
   今雨が降っています。
   ふとジャズのfly me to the moonを口ずさんでいました 。
   静かな夜にはジャズが合いますよね。
   私はいつもCDを聴いています。
   音楽は心の支えで、一番の楽しみです。』
   (2015.6.26)

 さて、アメリカの月面有人探査船、アポロ計画の時代に、アメリカでフランク・シナトラによって歌われ、ヒットした"fly me to the moon"とはどんな曲でしょうか。

 この曲は、あのアニメ「エヴァンゲリオン」のエンディングテーマ曲に選ばれ、このアニメの主題歌「残酷な天使のテーゼ」で知られた高橋洋子さんによって歌われていました。

   


 【Wikipediaによる解説】
 『1954年、作曲家・作詞家のバート・ハワード(Bart Howard, 1915-2004)によって作られたもので、初演はニューヨークのキャバレー "Blue Angel" において、ヴォーカルのフェリシア・サンダーズ によるものであった。ただし、この時の曲のタイトルは
"In Other Words"(「言い換えると」の意味)であり、曲調も3拍子で、現在多く採用されているアレンジとは装いをかなり異にしていた。(中略)
 現在多く耳にする『Fly Me to the Moon』が完成するのは、1962年の事である。作曲家・編曲家のジョー・ハーネル (Joe Harnell) が4拍子のボサノヴァ風に書き直した曲が、現在よく知られているアレンジの一つである。その後、フランク・シナトラがカバーして爆発的なヒットになった。(中略)
 シナトラがこの曲を発表した1960年代、アメリカ合衆国はアポロ計画の真っ只中にあって、本当に『月に連れて行って貰える』のは、非常に近くまで迫っている、近未来の出来事であった。そのため『Fly Me to the Moon』は一種の時代のテーマソングのように扱われ、これがこの曲のヒットにつながった。シナトラ・バージョンの録音テープは、アポロ10号・11号にも積み込まれ、人類が月に持ち込んだ最初の曲になった。
 非常に多くの歌手がカバーしていることでも知られており、劇中曲として使用されることも多い。』

 確かに、どこかで聴いたことのある曲ですね。真理さんは、どこで聴いてこの曲が好きになったのでしょうか。
 1970年の第二回ヤマハポプコン、18や19才で、むずかしそうなOtherwiseを歌われた斎藤マリさん。1969年、アポロ11号が月面着陸に成功。真理さんも、フランクシナトラの歌を、当然、時代の息吹を、聴いていたのかもしれません。

   

    1969年、フランクシナトラのライブから、Fly Me to the Moon。


今後のブログで書きたいこと


 今日は寒気が入り、仙台は小雨が降り続き、初冬を思わせる勤労感謝の1日でした。皆さんの地方はいかがだったでしょうか。
 さて、私のブログは、東日本大震災以後に、天地真理さんに関する先輩の皆様の動画サイト作品やブログに心を癒され、熱中したことから、ネットで知りえた情報と真理さんのプレミアムBOX解説書などから構成した50頁余りのブックレット「私は歌手!天地真理」(BLで始まる)を公開し、それにおまけの記事を書き続けたものです。
 いままで、一日20~30人の方々に、ご覧いただき、親切なコメントもいただき、大変感謝しています。また、10月などは、真理さんの週刊新潮の困った記事があったためか、普段と違う方々が1日あたり30~50人、見に来たようで、驚きました。YTアカウントのようにブログ自体が削除されることもないとは言えませんから心配しましたが、じきに収まり一安心しています。
 今や、中・高校生時代は高峰の花の麗しき国民的スーパーアイドル、かつ美しい歌声の作品集を世に出された天地真理さんを応援することは、望外の歓びで、まだいつになるか分からないリタイヤの前に獲得できた趣味として大切にしたいと思っています。

北山崎北三陸海岸101

日本一AA級と評される海岸景勝地「北山崎」 岩手県北三陸

岬めぐり 【山本コウタローとウィークエンド】 -太田忠(ピアノ)
1974年6月1日,天地真理さんの「恋と海とTシャツと」と同日発売

 さて、上に申しあげたように、月に数回、投稿している記事は、ブックレットの付録のようなものですが、天地真理さんの一般には周知されていない美しき歌唱群と真理さんの活躍した時代、そして、真理さんの歌で癒しを受けてほしい被災地、心の疲れた人に、語りかける内容でありたいなぁと思っています。
 小生は、事前に計画を作らないとその時まかせの記事となり、構成力や統一性に欠けるため、ここに予定を書いて、今後の執筆の励みにしたいと思います。
 今後も気長にお付き合いください。もっとも、来年、2016年10月1日は、天地真理さんの記念すべき、歌手デビュー45周年、私のブログも一粒の麦になりたいと願っています。

【今後の予定】ブログ記事テーマ20151123

【天地真理の歌の世界】
1. 太田忠氏 ピアノ演奏の世界・・・1970年代の歌謡曲をアレンジ演奏
    ・・・(済,MR50,MR50再掲)
2. 筒美京平の作品と天地真理・・・シングルNo.15~17,LP No.9,10
    ・・・(済,MR51,53,54,55,57,58,59,BL26.1再掲)
3. 弁証法による歌手・天地真理の評価・・・哲学的に冷静に数え上げてみよう。
    ・・・(済,MR52)
4. 国民的スーパーアイドル全盛期の時代絵巻
    MH101 昭和46年(1971) 天地真理第1年
    MH102 昭和47年(1972) 天地真理第2年
    MH103 昭和48年(1973) 天地真理第3年
    MH104 昭和49年(1974) 天地真理第4年
    MH105 昭和50年(1975) 天地真理第5年
    MH106 昭和51年(1976) 天地真理第6年
    
5. M番号とケッヘル番号・・・天地真理の作品番号とは?
6. オリジナルアルバムの紹介と解説
    LP01~10,ライブ盤2,ミュージカル1・・・合計13作品
    LP10 アルバム「童話作家」1976.12.21・・・(済,MR63)

【ドラマ「時間ですよ」の共演者】
7. 堺正章・・・「街の灯り」、天地真理の影響、続く活躍と人気  
8. 浅田美代子・・・赤い風船  天地真理二世?本来のアイドル
    ・・・(済,MR67)
9. 森光子・・・真理ちゃんの第二の母,女優の魂,国民栄誉賞

【天地真理が活躍した時代】
10. MH17. 1970年代後半 超ド級スーパーアイドルの方向転換
   戦艦大和、戦艦武蔵と天地真理・・・戦艦武蔵について書きました(MR76済)
     
11. MH18. 1970年代 沢木耕太郎が 「深夜特急」で旅をした時代
       海外旅行と日本人、JALパックなど(MR75済)
 
12. MH19. 1980年代 ラグビーがサッカーより格段に人気のあった時代
  2019ラグビーワールドカップ日本大会について書きたいです!(MW23済)  

【天地真理さんの歌の歳時記】
14. 天地真理の歌と季節, 天地真理の歌のカレンダー
  【今月のおすすめ動画やコンテンツ】で毎月書いています。

15. 天地真理の歌をつくった作詞家たち
16. 同じく作曲家たち


2015秋の釜石港
2015年10月 秋の釜石港

 また、上記の話題のほか、三陸や東北の自然や文化、津波や地震の震災と復興、火山噴火災害など日本列島における自然災害や防災関連の記事を織り交ぜたいと思います。特に三陸は東北新幹線や東北縦貫高速道からは、列車や車で2時間余り、多くの日本人は訪れる機会のない地域です。小生は、三陸・釜石の出身で、実家をベースに細君やわが子と遊んだ楽しい思い出がたくさんあります。そんな中から、三陸の自然や文化を紹介したいと思います。テレビや新聞ではよく見かけても、実際はなじみのない地域の復興といわれても、特に北海道や関東以西の大部分の日本人にはピント来ないことでしょうから・・・。
 そういえば、岡山県だったかな、中国地方出身の地質技師仲間のお話しでは、北上山地の最高峰、ハヤチネウスユキソイウで有名な早池峰山は、「知ってる人はほとんどいない」、と言っていました。100名山の一つで、いい山ではありますが。
 あまちゃんで有名になった小袖海岸は知っていても、浄土ヶ浜も北山崎も碁石海岸も金華山も五葉山も観たこともないのでは・・・日本では三陸海岸のことは実際はほとんど何も知られていないのかもしれません。

21. 三陸海岸の景勝地とジオ・パーク(MW24済)
22. 三陸海岸と津波の歴史・・・MyHPで書いています。
23. 子供たちと遊んだ三陸海岸
24. 子供たちと遊んだイーハトーブ
25. 高度成長期と製鉄の街・釜石

26. 東日本大震災の復興の様子
  ・・・女川、石巻、気仙沼、釜石など書きました。
27. 日本列島の火山活動と防災・・・MyHPで書いています。
28. 北海道の自然と文化と人々
29. 宮澤賢治の作品の世界
  ・・・初めに「銀河鉄道の夜」を書きました(MW22,22.1,22.2)
30. 石川啄木 雲は天才である


釜石湾口防波堤の復旧と巡視船
復旧中の釜石湾口防波堤、海上保安庁巡視船、太平洋を望む


(修正2017.6.9)

MR47 岩崎宏美さん「思秋期」について


 岩崎宏美さんは1958年11月12日生まれ。1958年は昭和33年、長嶋茂雄さんが巨人軍に入団し、東京タワーが完成した年。小生も早生まれで学年は違いますが、この年生まれです。

 同じ年生まれの森昌子さんは、天地真理さんの全盛期、1972年7月、中学生でデビューし、桜田淳子さん、山口百恵さんと中三トリオとして活躍したのは有名な昭和文化史です。実は岩崎宏美さんは、高校では森昌子さんと同期ですが、岩崎さんのデビューが1975年4月と少し遅かったため、中三トリオよりけっこう若いと誤解していました。また、1975年のデビューに太田裕美さんがいますね。

 天地真理さんは、昨年の天地真理ファンクラブ会報14号(2014.9.25)で、テレビ朝日「ベスト30歌謡曲」の収録の頃の思い出を掲載しています。
 この中で、『「愛のアルバム」を歌っていた頃、突然、とてもきれいな歌声がスタジオから聴こえて来て、この人はうまいなーと思いました。それは岩崎宏美さんでした。今もあの感動を覚えています。』と語っています。
 真理さんの「愛のアルバム」は1975年4月の発売ですから、時期的には岩崎宏美さんのデビュー曲「二重唱(デュエット)」を聴かれた可能性がありますが、「感動を覚えた」とすると、真理さんが主演ミュージカル中、その後、次のシングル「さよならこんにちは」(9/1発売)まで愛のアルバムを歌っていたとしたら、むしろ宏美さんの伸びのある歌声が印象的なレコ大新人賞を受賞した「ロマンス」(7/25発売)だったのではないでしょうか。
 岩崎宏美さん、2番目のシングル「ロマンス」がいきなりオリコンチャートで1位。天地真理さんが2番目のシングル「ちいさな恋」で颯爽と1位になったのと同じ。一躍脚光を浴びた高校生でした。「あなたお願いよ 席を立たないで」の歌詞と若々しく力強い美声が印象的。劇場やテレビ前から、席を立ちづらくなりました・・・・ウソウソ。

  岩崎宏美 ♪ ロマンス ♪

  岩崎宏美 ♪ 未来 ♪
           
 さて、天地真理さんのFM軽井沢特集を企画、放送する太田忠さん。氏は動画サイトでピアノ名演を多数アップしていますが、意外や歌謡曲の選曲が幅広いようです。
 今年も秋が深まり、氏のピアノ演奏をいくつか聴いているうちに、岩崎宏美さんの「思秋期」を気に入り、ご本人の歌唱も繰り返し聴くようになりました。

  

  思秋期 【岩崎宏美】 -太田忠(ピアノ)

 この歌は1977年9月、宏美さん18才の時のリリースで、若くして日本レコード大賞の歌唱賞を受賞した名曲ですが、次にあるように、宏美さん自身にも特別な歌とのことです。
 ちなみに、1977年は、天地真理さんは体調不良(後年の真理さん談話では、超絶の人気が下降したことによる心労とのこと)で長期休業していた時期でした。

【産経ニュースHP、話の肖像画、歌手・岩崎宏美から】
 岩崎宏美さんは、東京の下町、深川の出身。製材機械製作会社の経営者である父のもとに生まれた3姉妹の次女。
 『厳格な父でした。「スター誕生」で優勝してデビューが決まったときも「俺は聞いてない」と言って反対しました。テレビで見ていたくせに…。受からないと思っていたんじゃないですか(笑)。
 父は当時、あまり家にいなかったので怖かった。一度も口答えしたことがなかったけれど、ここで我慢したら絶対後悔するなと思って「じゃあ、20歳までということでお願いします」と言って返事も聞かずに父の部屋を出ました。
 結局、私の初めてのバラード「思秋期」を聴くまで、父は私が芸能人を続けることを認めてくれませんでした。「思秋期」は父を説得してくれた思い出深い曲です。2番に「卒業式」っていう言葉が出てくるんですけど、多感な時期だったので、泣いてしまって何度も歌を録音し直しました。』

   産経ニュース 歌手・岩崎宏美(2)

 岩崎宏美さんは前夫との間に2男をもうけましたが、離婚に際し、親権ばかりか養育権も奪われ、大変つらい思いをされたそうです。それが、後にミュージカル俳優と再婚し、二人の子供が成人して自由に母親に会うようになり、ご自身のコンサートにも来てくれ、幸せをかみしめているとのことです。
 岩崎宏美さんは、現在までの長い間、第一線の歌手として活躍されていることは周知のことでしたが、芸能情報に疎い私など、彼女がこれほど精神的苦痛を味わった方なのだと知り、何故か一段と親しみが感じられる秋となりました。

 思秋期より

 「青春はこわれもの 愛しても傷つき
  青春は忘れもの 過ぎてから気がつく」

 「無邪気な春の語らいや
  はなやぐ夏のいたずらや
  笑いころげたあれこれ 思う秋の日」
  ♪♪♪

MW15 石巻市大川小学校の津波訴訟について


 小生は、あの大震災・大津波から4年半が経過した今も、仕事で防潮堤関連の設計業務に携わっています。得意分野はちょっと違うのですが、幸か不幸か、少しでも三陸沿岸の人たちの助けになればと、計画の規模に多少疑問を持ちながらも、多くの人たちが係る復興事業なため、日々、足りない頭や経験を嘆きながら、ともかく多数の細かな調整に明け暮れています。

 さて、宮城の新聞、河北新報のHPに次の記事がありました。また、今日の朝刊では読売新聞に詳しい記事が載っていました。

 『東日本大震災の津波で死亡・行方不明となった石巻市大川小の児童23人の19遺族が市と宮城県に23億円の損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁は13日(2015.11.13)、現地を視察し、津波の到達状況や大川小から裏山までの想定避難ルートなどを確認した。
 約1時間半の視察には高宮健二裁判長ら裁判官3人と遺族側、市・県側の関係者ら計約40人が参加。実際の避難先となった北上川堤防付近の位置を確かめたほか、遺族側が主張する三つの想定避難ルートを通って実際に裏山に登り、傾斜角度などを把握した。
 遺族側は震災前に校長が撮影した学校周辺の写真約100枚を校内外に掲示したり、津波で消失した道路や建物の位置をテープを張って示したりし、当時の状況を視覚的に再現した。
 視察後、6年生だった長男を亡くした今野浩行さん(53)は「学校のそばに容易に避難できた山があったことを、裁判官に理解してもらえたと思う」と述べた。市側は「北上川堤防付近は校庭より6メートル弱高く、ほかに安全に到達できる高所は周囲にないことを見てもらえた」などとする談話を出した。
 遺族側は同日までに、裏山への避難時間は1~2分だとする動画を撮影し、地裁に証拠提出した。
 訴えによると、大川小の教職員は2011年3月11日の地震発生から約45分間、児童に校庭で待機するよう指示。その後、津波が押し寄せ、訴訟対象の23人を含む児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明になった。』

大川小学校
ありひ日の大川小学校

大川小津波被災
大川小と周辺の津波被害

大川小地蔵に会いに
大川小お地蔵さんと父兄ら

 この大川小学校の痛ましい被災、犠牲者は、宮城では大変有名です。お母さんが女手で重機の資格をとり、シャベル付のユンボで、わが子もその友達をも捜索する姿は、涙なくしてはみられません。母の愛ほど強いものはこの世にないということでしょう。
 大川小学校や他の幼稚園・保育園の送迎バスでの小さな魂の痛ましい被害は、人災の側面もあり、大人の判断の是非が争われています。この裁判は、子供たちへの愛情による裁判であって、避けて通れないものだと思います。

 われらが天地真理さんは、自ら歌う「水色の恋」を聴いて、亡き実母を思い出されたとか。
 被災地の、被災者の心のケアはまだまだ続きます・・・・・
 
 ここで、もしよければ、天地真理さんの歌手デビューからちょうど1か月、ザ・タイガース解散後、ソロデビューした沢田研二さんの記念すべき曲「君をのせて」(1971年11月1日発売シングル)を、太田忠氏のピアノの名演でお聴きください。

   君をのせて 【沢田研二】 -太田忠(ピアノ) 


20151114読売大川小訴訟
   大川小学校裁判官現地視察(読売新聞朝刊 宮城県版2015.11.14)

MH08.1 ヤマハ「'70作曲コンクール」で歌われた「OTHERWISE」


 今年も秋が深まり、われらが天地真理様、10月1日の歌手デビュー44周年、11月5日のお誕生日、おめでとうございます。私事、11月1日の天地真理さんの誕生会(東京)は、次女の第2子出産と重なり、当初より出席を見合わせましたが、おしゃれで嬉し涙の真理さんの御様子を、ファンの皆様のブログやF.B.で知り、とてもうれしく思います。

 さて、歌手・天地真理さんの実力を知るうえで重要なデビュー前のヤマハ「'70作曲コンクール」で歌われた「OTHERWISE」、以前の記事で、是非聴きたいと書いていましたが、最近、ひこうき雲さんのブログで、聴くことができ、あらためて、二十歳前の天地真理さんの歌の上手さを実感できました。ひこうき雲さん、制限つきの公表と思いますが、大変感謝いたします。まだお聴きでないファンの方々は是非、こころして聴いておかれるべき歌唱と思う次第です。

 皆さん、いかがですか。この日、真理さんは19才の誕生日だったはずですが、歌声はどこかそんな若さには聞こえませんね。なんかちょっとベテランのジャズシンガーのような外国人にも思えるし、洋楽好きの日本のプロ歌手のようにも聴こえます。NHKのど自慢大会に出て合格の鐘をならしたいレベルよりもう少し上の方に見えます。また、デビュー後の天地真理さんの大衆が誰でも近寄りやすく感じる、明るさ、おおらかさは感じられません。18才のレッスンはずいぶん志が高かったように見受けられます。

 さて、以下は、MH08 の冒頭から、「OTHERWISE」についての簡単な紹介文です。

 『1970年(昭和45年)は、斎藤真理さんは、国立音楽大学付属高校声楽科を卒業され、早稲田大学のフォークソングクラブに準会員として参加し、かつヤマハミュージックスクールのボーカルコースに通っていました。そして、この年11月5日、三重県合歓(ねむ)の郷で開かれたヤマハ「'70作曲コンクール」に斎藤マリの名で出場し、June Chun作詩・作曲の「OTHERWISE」を歌われたのでした。(注;現在、OTHERWISE、真理さんの歌唱も曲自体も次のブログに紹介された動画が削除されているため、残念ながら不明です。誰か歌や演奏をお願いしたいところです。)』

   メロンパンさん 天地真理ものがたり デビュー前の歌「OTHERWISE」

  『OTHERWISE』 by June Chun

  There must be magic,
  Otherwise, How could day turn to night?

  And how could sailboats,
  Otherwise, Go sailing out of sight?

  And how could peanuts,
  Otherwise, Be covered up so tight?

  And how could peanuts,
  Otherwise, Be covered up so tight?

  Rururu・・・・・

    And how could peanuts,
    Otherwise, Be covered up so tight?

    And how could peanuts,
    Otherwise, Be covered up so tight?

    Rururu・・・・・

 今日も、1970年のポプコン第二回の様子は、ヤマハ音楽振興会のホームページから分かります。「斎藤マリ」のお名前と、水色の恋の原曲「小さな私」の名前が見て取れます。

  1970ポプコン概要

  1970ポプコン作曲01

   ヤマハ音楽振興会 ’70年作曲コンクール

プロフィール

hatogairu kouen

Author:hatogairu kouen
明るき癒しの歌声、天性のファルセットを紹介し、悩める日本人を応援します。

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