MW22.2 銀阿鉄道の夜(その3)


 関東、関西はさくらは満開のピークを過ぎたのでは。天地真理さんは真保さんやお友達とお花見、いかがでしたでしょうか。
 仙台は満開が近づいたようですが、今日は肌寒いです。わたしは家内と週末、市内か県内の名所に花見に出かけたいと思います。
 小生は、年度末の成果品の納品がちょっと大変でしたが、四月になっても、間をおかず、復興などの工事発注業務のための直しが続いており、ちょっと精神的に疲れて本日は有給休暇(最近の深キョンのテレビCMだとYOU-CUTE?)をとって休んでいます。
 また、このようなときに真理さんの特集ラジオ深夜便があったりして、趣味とはいえ熱を入れすぎました。
 ここは、郷里の詩人「宮澤賢治」にまた戻り、普通の精神状態に戻したいと思います(笑)。

 さて、「銀河鉄道(その2)」では、物語後半の「十、突然の同乗者」について詳しく書きました。いわば、起承転結の転にあたる内容です。今回、その3では、物語の終盤について書きたいと思います。
 このお話は、突き詰めるとジョバンニと親友・カンパネルラのお話しです。カンパネルラは、実は銀河の祭りの夜、からす瓜の灯篭を川に流すために乗った船から投げ出され、ジョバンニのいじめっ子を助けて自らは溺れ行方不明となったのでした。ジョバンニはうたたねした丘で目覚めて、銀河鉄道の旅は、カンパネルラにとっては天国への死者の旅だったことを悟るのでした。
 この物語は賢治によって何度も推敲された未完の物語と言われています。「死」がテーマの世界水準の文学とも言われ、「ほんとうのさいわいとは一体何だろう」と問いかけているのです。

銀河鉄道の夜草稿第一葉-500
 宮澤賢治「銀河鉄道の夜」の草稿第一葉 /ロジャー・パルバース NHK100分de名著(2011年12月),巻頭より

【後半の内容】
 十、突然の同乗者「氷山と客船」
 次に同乗してきたのは男の子とお姉さんの子供二人(姉弟)と家庭教師の青年でした。当時、大きく報道されたタイタニック号の客船沈没事故(1912年[明治45年]4月14日)の被害者とみられる人たちでした。
 
 十一、りんご
 おいしい大きなリンゴを、車内のみんなでごちそうになります。農学校の先生で、自らも農業をしていた宮澤賢治。品種改良の動向にも詳しかったのでしょう。また、ほかに何かの象徴の意味もあるのでしょうか。
 リンゴは、いまでこそ「炬燵にみかん」と言われる時代ですが、戦前から戦後1960年代までは、日本人にとって、特に北国の人たちにとっては最も好まれた果物はリンゴ(林檎)だったのではないでしょうか。蜜のはいったデリシャスという品種もありました。
 当物語では、ジョバンニが星祭の夜、小高い丘から見た夜行列車の中に、リンゴを食べたりして楽しく旅する乗客を連想しています。また、氷山との衝突の海難事故者3名の登場は、リンゴのおいしい香りがした直後でした。

 2016いわてりんご冬恋jA
 2016年 岩手りんご新種「冬恋」販売キャンペーン(岩手県達増知事と能年玲奈)
 
 「いかがですか。こういう苹果(りんご)はおはじめてでしょう」 向こうの席の灯台看守が、黄金と紅でうつくしく色どられた大きな苹果を落とさないように両手で膝の上に抱えていました。・・・同乗者の大人もこどもも、大切にリンゴをいただきます。お姉さん(かおるねえさん)はやっとお目覚めですが、男の子(たーちゃん)はまるでパイを食べるように食べています。
 「また、せっかくむいたそのきれいな皮も、くるくるコルク抜きのような形になって床に落ちるまでの間にはすっと灰色に光って蒸発してしまうのでした・・・」

 十二、「かささぎ」と孔雀
 ジョバンニ、カンパネルラ、同乗者の女の子、空行く多数の渡り鳥に目を奪われます。ゆったりとした服の男が、鳥の群れを誘導します。見事な自然の光景が浮かび上がります。
 カンパネルラは女の子と楽しそうに渡り鳥、孔雀の話で盛り上がっています。けど、少年ジョバンニは嫉妬して機嫌が悪いのです。女の子にではありません、ジョバンニとどこまでも二人仲良く旅したいのでした。

 十三、新世界交響曲とインディアン
 車窓にまでながれるドヴォルザークの新世界交響曲。そして空行く鳥を打つ馬上のアメリカインディアンたち。タイタニック号の死者と思しき同乗者は、ヨーロッパからアメリカへ帰る途中でした。アメリカが故郷の人たちでした。

 Antonin Dvorak - New World Symphony Part II Largo 

 崖の上を行く銀河鉄道。川は深い谷の底を流れています。まさにコロラド渓谷(グランドキャニオン)に似ています。
 見渡す限りのトウモロコシ畑、いわゆるデントコーン畑でしょうか?

 ここで、工兵部隊が架橋演習中です。火薬で川に発破し、魚をとるシーンが挿入されています。これも何を暗示しているのでしょうか?

 十四、双子のお星さま
 空の星座を守る宮の双子のお星さま。賢治の童話「双子の星」に出てきます。

 星めぐりの歌.wmv/reinhot6 さん

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 十五、サソリの火
 わがままなサソリの事は、上の「双子の星」に出てきますが、ここでは普段、たくさんの小さな虫などを殺して食べていたサソリがある日イタチに食べられそうになり井戸に落ちて溺れ死ぬ際、みなの幸いの為にこの身をお使い下さいと神様に祈るお話しです。このように、人は誰もがこの身を焼いてでも、他人に尽くすべきでしょうか・・・

 宮沢賢治・銀河鉄道の夜「さそりの火燃える」 歌・青木由有子

十六、サザンクロスと石炭袋
 天国への終着駅は「南十字星」すなわち「サザンクロス」です。

「もうじきサザンクロスです。おりる支度をして下さい。」青年がみんなに云いました。
「僕、も少し汽車へ乗ってるんだよ。」男の子が云いました。
ジョバンニがこらえ兼ねて云いました。「僕たちと一緒に乗っていこう。僕たちどこまでだって行ける切符を・・・」
「だけどあたしたちもうここで降りなきゃいけないのよ。ここ天上へ行くとこなんだから。」女の子がさびしそうに云いました。
「さあもう仕度はいいんですか。もうじきサザンクロスですから。」

 悲しいですがお別れです。「じゃさようなら」女の子がふりかえって二人に告げました。・・・Mさんなら「また逢うためにさようなら」と歌うのでしょうか。
 ここまでが、突然の同乗者との旅。天国への旅路でした。

 見えない天の川のずっと川下に青や橙やもうあらゆる光でちりばめられた十字架がまるで一本の木という風に川の中から立って、かがやきその上には青白い雲がまるい環になって後光のようにかかっているのでした。・・・

 他の乗客が下車し、また二人っきりになったジョバンニとカンパネルラの最後の会話が始まります。

「カンパネルラ、また僕たちふたりっきりになったね。どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸いのためならば僕のからだなんて百ぺん灼(や)いてもかまわない。」
「うん。僕だってそうだ。」

「けれどもほんとうのさいわいは一体なんだろう」ジョバンニが云いました。
「僕わからない。」カンパネルラがぼんやり云いました。

 ここで、南十字星のα星の真東にある暗黒星雲、「石炭袋」(コール・サック Coalsac)を初めて見てドキッとするジョバンニ。ただし南半球では、昔からよく知られているのですね。

 コールサック南十字星Wikip

 石炭袋南十字星写真img_1

「僕もうあんな大きな暗(やみ)の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうの幸いを探し行く。どこまでも一緒に・・・」
「ああきっと行くよ。ああ、あすこの野原はなんてきれいなんだろう。みんな集まっているね。あすこが本当の天上なんだ。あっあすこにいるのは僕のお母さんだよ。」カンパネルラは指さして叫びました・・・

 ジョバンニとカンパネルラ
   銀河鉄道の夜 宮澤賢治/ロジャー・パルバース 
   NHK100分de名著から p53.

 久石讓- 銀河鐵道之夜.wmv

 十七、覚醒、そして親友の水難事故死
 「ジョバンニは目をひらきました。もとの丘の草の中につかれてねむっていたのでした。胸は何だかおかしく熱り、頬につめたい涙が流れていました。ジョバンニはばねのようにはね起きました。」そして、牛乳屋さんでお母さんの為にまだ熱い牛乳を受け取って町に出ると、橋のそばで七、八人集まってヒソヒソ話をする女性たちから、「こどもが水に落ちたんですよ。」と聞かされます。

 駆けつけたジョバンニは、学校の友だちから川に落ちたザネリの身代わりでカンパネルラが川に入って見つからないことを知らされました。橋の上の大勢の人たち、白い服を着た巡査、魚をとるときのアセチレンランプがたくさん行ったり来たり・・・。
 「下流の方は川幅いっぱい銀河が巨きく写ってまるで水のないそのままの空のようにみえました。」
 「ジョバンニはそのカンパネルラはもうあの銀河のはずれにしかいないというような気がしてしかたなかったのです。」

 カンパネルラのお父さんは博士とよばれる紳士。夜の川に投げ出された息子の捜索が長引き、時計を見て冷静にあきらめています。「もう駄目です。落ちてから45分たちましたから。」そして、拿捕されていたジョバンニのお父さんの帰国情報を知っており、ジョバンニに、病身のお母さんのもとに帰るよう促すのでした。

 冨田勲 イーハトーヴ交響曲 東北から響け! 宮沢賢治の世界

 
 地元・岩手県で大切にされる宮澤賢治と銀河鉄道 「SL銀河」JR東日本盛岡支社

 
 冬の花巻~遠野行き SL銀河 めがね橋を行く

 賢治いわく「永久の未完成これ完成である」(農民芸術概論綱要)
 構成を大きく変えて四稿し、なお手元において推敲していた「銀河鉄道の夜」は、宮澤賢治が世界の誰にも伝えたいと考えた物語なのではないでしょうか。
 このブログでは、三回に分けて学びましたが、各所にちりばめられた銀河宇宙の壮麗な表現、また解釈のむずかしい会話や人物など、奥の深い作品であります。賢治の他の作品と共に、人生後半、まだまだ、考えて行きたいと思います。

 なるほど・・・いつまでも どこまでも・・・です。

[参考文献]宮澤賢治スペシャル-16作品が照らし出す心の真実-山下聖美(きよみ),NHKテキスト 100分de名著,2017.3

 2017年5月21日加筆 (ひとまず終わり)

MR91 「若葉のささやき」に見る天地真理の歌唱の変化

 
 昨年から、小生が初めてみる天地真理さんの歌唱動画がネット上にアップされていて、「若葉のささやき」など同じ曲でも天地真理さんの歌い方が変化している、異なっていることが分かります。

 この意味するところを思いはかっていると、天地真理さんの人気が女性ブロマイド販売年間第一位になった1973年(昭和48年)の空前の国民的アイドル人気、テレビCMや関連商品など急速に商品価値を上げて行った天地真理のスーパーアイドル化の影響ではないのかという仮説を思いつきました。この仮説の検証として、現在Y.T.やF.B.で公開されている天地真理さんの歌唱動画を少し考察してみたいと思います。

 以下の素材は、主に、「はじめに【今月のおすすめ動画等コンテンツ】」から転載します。なお、この「今月のおすすめ動画等」は、毎月、特に前半を書き改めます。ブログトップ記事からリンクできますので、よろしかったら気の向いたときに覗いてみてください。

若葉のささやき_全員集合021
人気番組ドリフの8時だよ全員集合で「若葉のささやき」を歌う
若葉のささやき 天地真理 (1973) /pokoさん

(A)【30才台とみられる時期の天地真理オンステージ】

 大人の雰囲気の天地真理さんです。アイドルソングのみの歌唱ですが、ちょっと艶っぽいのですね。このステージの収録年月日が明らかにされていませんが、真理さんの結婚期間は昭和61(1986年)年9月から平成8(1996)年の約10年間。このステージのとき奥様だった様にも見えますが、動画の題名にある「二回目のカムバック後くらい」が確かであれば、1982年9月の再々デビューから1983年2月1日の「私が雪だった日」をリリースした頃という推定が出来ます。真理さんは31才ぐらいだったのでしょうか。


「若葉のささやき」を手拍子で 上記動画 4m47s(287s)より

 真理さんは、ご自身の大好きな歌として、ここ数年、ファンクラブ公開のインタビューなどでは「水色の恋」や「虹をわたって」をあげていますが、「若葉のささやき」をあげることはないのでしょうか。山上路夫氏の格調高い詩と森田公一氏の明るく甘い香りのする短調。真理さんは手拍子で明るく歌っています。「愛はよろこび それとも涙・・」、この頃、ボイストレーニングの不足はいなめませんでしたが、ともかく「恋することで少々涙しても明るく明るく」と歌いかける余裕がありました。

(B)【1973年12月のレコード大賞編曲賞ステージ】

 最近アップされた鮮やかな動画像。当時のカラーテレビも確かにこのぐらいはきれいでした。驚きのアップ動画です!



1973年12月31日 レコード大賞編曲賞 「若葉のささやき」 竜崎孝路
 上記動画 1m26s(86s)-2m52s(172s) より

 このレコード大賞編曲賞のステージは、最後のフレーズはやさしく美しいファルセットで歌ういつもの真理さんですが、前半は拳を握るかのような、ガッツな心意気を示す歌い方ですね。

 次は同年、昭和48年(11月)の日本歌謡大賞(ノミネート曲)のステージです。
 残念ながら受賞はなりませんでしたが、天地真理の絶頂の人気を示す有名なステージパフォーマンスです。このステージこそ、ガッツ石松氏のガッツポーズを連想させる元気いっぱいのステージとなりました。
 軽井沢のファンと一緒のテニスイベント、大ヒットでライブの歓声の波また波、真理さんはファンへの大きな感謝を込めて歌っている、「ふたりの夏よ 消えないでね どうかずっと・・・」、真理さんは心底うれしくて歌い切った感じです。

 恋する夏の日 天地真理 1973年 日本歌謡大賞
  
(C)【昭和48年10月10日読売ランド 天地真理ショー】

  中島志津男氏の貴重なFace Book投稿動画より。   

  天地真理_若葉のささやき_よみうりランド002

  中島氏F.B. 天地真理/若葉のささやき 1973.10.10 よみうりランド

 聴衆の反応が大好きな真理さんはTVスタジオより、コンサート、ライブが好きという発言をされます。この若葉のささやきはしっとりと詩の意味を大切にして歌っていますが、この動画の最後ではステップを切りながら前に進む、前進あるのみというような恋に悩む若者を励ます、いわば「応援歌」となっているような感じがします。

  恋する夏の日テープ031

  恋する夏の日テープ011

  中島氏F.B. 天地真理/恋する夏に日 よみうりランド

 聴衆の若者たちの興奮が手に取るように分かります。テープの飛び方が一直線でえらく勢いがあります。真理さんは、とっさに赤いテープに身をかがめますが、大勢の聴衆の歓びを目いっぱいに感じて、体を上下させ歌い続けます。とても、発売日前後のダンスを忠実に行う余裕はなかったのではないでしょうか。

(D)【TV真理ちゃんシリーズにおけるリリース前後の初々しい歌唱】

 次の作品、見慣れたファンにもおそらく真理さんにも大切な動画ですが、真理さんのファルセットが特に美しい作品です。



新曲「若葉のささやき」天地真理 (1973)/Mr.takebayashinosita

 竹林の下さんのアカウント名で有名な真理さんの歌唱動画。外国人のファンもいる小生もっともお気に入りの美しいファルセットとやさしい人柄が表現された最優秀作品の一つです。作詞者の山上路夫氏は、真理さんを評して「言葉を届けてくれる歌手」と手放しの評を贈っているそうです(雑誌「昭和40年男」2016年8月号,p111)。実に格調高く、かつ優しさ満開の美しい歌声を披露した天地真理さんでありました。
 
 この歌唱の放映は、「新曲」とテロップにあることから、3月21日のリリース前、あるいは直後と思われます。このように真理さんの美し歌唱は、レコードの吹き込み時にすでに完成しており、後日のステージは、もしや「クラシック歌手のごとく気取っててはいけないわ」という気持ちで、ファンの熱狂に合わせて楽しく、あるいは子供たちにも親しみやすく歌っているような気がいたします。



 再生数の多さにびっくりするエバ師匠の投稿動画です。
 この時は、格調よりアイドルらしく明るく優しくとの思いで真理さんは歌われているように見えます。もしかすると、この動画の歌いは、上記の動画の後日のものではないでしょうか。(原画 1973.3.15あるいは5.24の放送からの可能性あり)

 こちらはご存じ踊る真理さん、初々しいダンスが秀逸な有名な動画からです。真理さんは、最近雑誌で「この曲ちょっと無理していました。」と言っていますが、どうしてどうして、歌手・天地真理を代表する重要作品であります。


天地真理/「恋する夏の日」 オリコン1位曲(1973.7.16より6週)
(注)申し訳ありません、画像の画郭も音源も変えています。
(原画 リリース前の1973.06.21放送からとみられる)


(E)【考察です】

 「天地真理全盛期のショーは、黄色い声援が飛び交い歌どころではない光景がよく見られたが、この頃のコンサートは落ち着いた構成で、じっくり聞かせるものとなっていた。」
 これは中崎あゆむさんが2006年6月に書き、天地真理プレミアムボックスの解説で、1976年のコンサート「私は天地真理」の収録LPについて語った一節です。・・・・

 その歌どころではなかった「天地真理全盛期」とは、特に1973年(昭和48年)を指すのではないでしょうか・・・
 毎日のように、国民大衆から熱狂的な支持を受け、大型遊園地や都会のデパートなどのライブでは「地鳴りのような声援」を受け、コンサートでは親衛隊の熱狂的波状応援とどうしても真理さんはいい、可愛い、おれの恋人!!と強く思う青年たちの容赦のない指笛に次ぐ指笛を受け、時には怖いほどの直球でそばをかすめる応援のテープが飛び交いました。

 天地真理さんは、リリース前後、音楽的にも感情表現も詩や曲の意味を尊重し、歌手として通常に懸命に努力しようとした。だから、シングル音源がどの曲もあれほど美しいファルセットなのでしょう。

 昭和48年3月21日発売の「若葉のささやき」で、19日後、4月9日から5週、ヒットチャート一位に返り咲き、7月1日発売の「恋する夏の日」で、15日後、7月16日から6週、ヒットチャート一位を保った、「国民的スーパーアイドル ” 天地真理 ” 」。

  45周年記念祭の天地真理さん手をあげて
 (注)昨年秋、2016年10月2日、デビュー45周年記念パーティーで歌う天地真理。かつての親衛隊とみられる方向に手を挙げて挨拶する。「あの頃はファンの為に生きていました。今は娘もいまして自分の為にも生きています。」(2014発売CD、ゴールデン☆アイドル「天地真理」シングルジャケット集から)

 本来、明るくやさしく、ファンの為に生きた天地真理は、熱烈な歓迎をしてくれるファンの前で、大衆の前で、音楽的に上手に美しく歌うという歌手として当たり前のことを表現する心境からは、はるかに遠かったのではないでしょうか。
 特にこの傾向は、1973年夏の「恋する夏の日」の大ヒットで決定的となり、この影響が年末のレコード大賞編曲賞の「若葉のささやき」の歌唱にも明らかに及んだものと思われます。すなわち、「若葉のささやき」を「恋する夏の日」のように元気に歌う天地真理がそこにいました。この傾向は中島さんのF.B.で公開された翌年の「恋人たちの港」の公開録音ステージと思しき歌唱にも見られます。
 この絶頂の人気の時期のパフォーマンスが一般国民の目には当たり前の光景となって、真理さんの歌手としての、彼女のシングルやLPなど求めて聴くことのなかった大衆において、悲しいかな低い評価が定着したのではないかと思わざるをえません。

 だからこそ、先週4月3日のNHKのラジオ深夜便(AMとFM)や歌謡スクランブル(FM)では、あの時代誰もが聴いたヒット曲ではなく、真理さんがその実力で当たり前に美しく熱唱したその他の曲をかけてほしい、かけ続けてほしい、特集してほしい、そのように思うのです。ともかく、4月3日、徳田さんが「君よ知るや南の国」をラストにかけてくれたことがとても良かった。
 そして、今、ファンクラブ事務局が行って来た、行っているスクリーンコンサート(「わたしは天地真理」と「天地真理オン・ステージ」のライブ録音)が重要な意味を持っている事が確かにわかる気がいたします。大都会中心ではありますが・・・

 直近の記事、4月3日のラジオ深夜便を聴いた直後、速報をこのブログに打ちこみながら、なぜか、唐突に、全盛期に真理さんとLPの売り上げを競い、またドラマで共演したこともある吉田拓郎氏に、「天地真理さん、元気ですか!」と励ましの声が欲しいと思いました。あの当時、破格の待遇をうけたといっても、大歓声のステージを務めた日、帰宅しひとりになると悲しく涙していた真理さん。『天地真理』は実に美声の歌手で、美しくかつ愛くるしい笑顔のトップアイドルでしたが、やはりビッグビジネスの頂点たる「スーパーアイドル」はプロダクションによってつくられたいわば「偶像」だったとも言えるでしょう。アイドル後の波乱万丈に、真理さんは苦しみ続けました。しかし今、新しいファンクラブに、スタッフに恵まれて、本来の歌手としての評価を、失われた地を、再び得ようとしているのだと思いたい。だから、あの放送の後、真理さんに「元気です!」と言ってほしいと思ったのではないでしょうか・・・
 
 元気です/吉田拓郎 (画像はもしや摩周湖ですネ)

(おわり)

MR90 ラジオ深夜便「天地真理特集」 2017.4.3


 天地真理さんの公式F.B.でおしらせがありましたが、本日、2017年4月3日、3時から4時までの一時間、天地真理特集がNHKラジオ深夜便で放送されました。

 私が、二年前のNHKFM歌謡スクランブル「天地真理特集」(2015年7月25日放送)について書いた記事がMR40でしたから、もうMR90ですか・・・
 あの頃は、ラジオから空中録音をしていましたが、今日はコンポのFMに有線で接続してデジタル録音しつつ、一方でPCの前で携帯ラジオを聴いています。

 今回の真理さん特集は 「日本の歌、こころの歌、70年代アイドルファイル『天地真理集』」として放送されました。

 アンカー・徳田 章さん「天地真理さんのデビューのいきさつは・・・テレビドラマ「時間ですよ」で芸能界デビュー・・・新・三人娘と呼ばれ・・・キャッチフレーズが『白雪姫』でした。今日は天地真理さんの昭和40年代後半のヒット曲を中心にお送りします。初めに、1971年、昭和46年10月1日発売のデビューシングルです・・・」

第1曲 水色の恋
 「デビュー曲から(いきなり)ヒットチャート3位。続けて連続11曲、トップテン入りしました。」
 「後にアルゼンチンタンゴ『ホテルビクトリヤ』という曲と似ているという指摘があり、2000年以降は、「ホテルビクトリヤ」の作詞・作曲者を作者(作詩 田上えり、作曲 田上みどり)に追加してご紹介することになりました。」

第2曲 ちいさな恋
 「デビュー二曲目は翌年、昭和47年、1972年2月のリリースでした。」
 「翌月の3月、第一回ファンの集いに2000人が集まりました。その二か月後、二回目のライブイベントが、日比谷公会堂であり、5000人が集まりました。実は私も行ったんですが、小学生のお子さんが多いのには驚きました。このころ、すでに、真理さんの人気は不動のものになっていたのですね。」
 「あの頃の事を調べていると、そうオオカミヘアーでしたね・・・」

04ちょっとこわいの-100
「ちいさな恋」のステージ、有名なYoutube投稿動画から

第3曲 ひとりじゃないの
 「ヒットチャート六週一位でした。この曲で、この年、第23回紅白歌合戦、初出場、白いジャケットとパンツのスタイルでした。」

第4曲 虹をわたって
 「1972年9月のリリース。翌年、昭和48年春の選抜高校野球甲子園大会の入場行進曲に選ばれました。」

第5曲 ふたりの日曜日
 「続いては12月に発売された「ふたりの日曜日」。きちっと三月(みつき)ごとに新曲がリリースされていました。残念ながらヒットチャート三位でした。とはいえ、三位ですから、たいしたものでした。」

第6曲 若葉のささやき
 「1973年、昭和48年3月リリース。再びチャート一位に返り咲きました。」

第7曲 恋する夏の日
 「1973年7月リリース。この年、前の年の映画『虹をわたって』に続いて、映画『愛ってなんだろう』に主演しています。浅見麻里子役でした。お父さん役は田中邦衛さんでした。」
 「この年の八月には大阪で初のワンマンショーを行っています。」
 「三作連続、通算五作チャート一位は、ピンク・レディーの九作連続一位が現れるまで最高記録でした。」

第8曲 空いっぱいの幸せ
 「次は八枚目のシングル、こちらもチャート三位でした。昭和48年の歌(1973年10月発売)です。」・・・この曲が始まって、3時35分でした。

第9曲 恋びとたちの港
 「天地真理さんは1973年、ブロマイド年間売上一位を記録し、1974年(昭和49年)があけました。昭和49年(2月)の歌です。」

第10曲 想い出のセレナーデ
 「1974年、天地真理さんはこの年4月、大阪でフォーク・コンサートを開いています(編者注;9月に開催された東京・九段会館の「天地真理オン・ステージ」とは別のコンサートですね)。この曲もフォーク調ですね。」

第11曲 君よ知るや南の国
 「お別れは、彼女の主演ミュージカルから。14枚目のシングル「初めての涙」のカップリング曲です。1975年、昭和50年の曲になります。」

 「天地真理さんはデビューから怒涛の数年間があって、大ヒット、ブロマイドも一位という大変な人気だったわけですが、その数年が過ぎても、今度は落ち着いて、いい曲も多くなったように思いますね・・・。」(徳田さん、真理さんの後期の作品をよく御存じのようです)

 ここで3時50分、えっもう終りですか・・・徳田さん、もっと話したいことがあるのですネ、きっと・・・。(再度、録音を聴いてみると、徳田さんは真理さんの大ファンですね、水色の恋の作者併記が2000年からなど、ずいぶん細かいところ詳しい解説でした。もしや大阪の御出身でしょうか。)

・前回の特集「竹内まりや」さんのリスナーの感想が読まれました。

・四時までの最後に、深夜便のうた「夢の線路」 歌 岩崎ひろみ が流れました。静かないい歌です。 

 天地真理さんの歌は何度聴いてもいいですネ。(小生、たまに聴けない日もあるけれど、ほとんど毎日聴いております。ファンなら「当たり前田のクラッカー」です。古いギャグ(笑い))

 真理さ~ん!聴いてました?ファンの皆さ~ん、どうでした?徳田さんの選曲は、ラストがアイドルとしてのヒット曲ではなく、名唱「君よ知るや南の国」だったことは、主要放送メディアとしてはこれまでにない通の選曲だったのではないでしょうか。

 とは言っても、天地真理さんには、さらに一般には知られていない、もっと名曲、もっと名唱がいっぱいあります。これらが紹介される天地真理特集はいつ放送されるでしょうか。もう待ちきれない感じです・・・

 天地真理/童話作家  MIXy.mariさん


天地真理歌唱集(修正版)

 以上 先の当日朝方の速報を訂正しました。
 わたしのデジタル録音は全体に細かなノイズがあります。コンポの音量がちょっと小さかったようです。そういえばインターネット受信も可能だったのでは。今後の課題といたします。(ハト)

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プロフィール

hatogairu kouen

Author:hatogairu kouen
明るき癒しの歌声、天性のファルセットを紹介し、悩める日本人を応援します。

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