MW22.1 銀阿鉄道の夜(その2)


 宮沢賢治は明治29年(1896)の明治三陸大津波の年に生まれ、昭和8年(1933)の昭和三陸大津波の年に没したことは、宮沢賢治の愛好家には、よく知られた史実です。
 実際、宮沢賢治の生誕は明治29年8月27日、明治三陸津波は同年6月15日。また、賢治の逝去は昭和8年9月21日、昭和三陸大津波は同年3月3日でした。
 ちなみに、明治の津波は午後7時半の地震後、昭和の津波は午前2時半の地震後といわれ、避難の困難な夜間の災害でした。

 先日は、宮城県石巻市の新・北上川の河口付近に位置する大川小学校の80名にせまる生徒たちと教員10名が、裏山が近い立地にも関わらず、川沿いの土手を避難し、大津波にのまれた悲劇に対し、遺族が石巻市教育委員会や県を訴えた訴訟で、仙台地方裁判所の原告勝訴の判決がありました。しかし、直ちに石巻市と宮城県は上告し、遺族も市と県に対する上告取り下げのはたらきかけもむなしく、自ら上告に踏み切ったとの報道がありました。

 2011年3月11日、午後2時46分頃の地震による津波は、確かに想定外の大きな津波災害でしたが、条件の良いところのみならず、平地の続く地区でも生徒たちの多くは、幸運も味方し、教員の努力で助かっている学校が少なくありません。遺族の方々は、防災避難マニュアル等の常時の防災意識や準備、事後の生存者への聞き取り調査の記録消去などの事後処理の問題など、人道的、組織的問題点を訴えているのであって、亡くなられた教員の方々個人を訴えているのではないのです。多数の子供たちが地震後、約1時間して避難の徒歩移動中に亡くなった悲劇に対し、親御さんたちは、必死で訴えているのです。可愛いい我が子を思えば、当然の思いだと思います。仙台高裁で、まだ裁判が続きますが、遺族とその関係者はこれが最後の裁判との思いではないでしょうか。合掌、合掌・・・

 さて、天地真理さんの45周年記念会の前に前半を書いた「銀河鉄道の夜」ですが、続きを書きたいと思います。わたしのブログは、天地真理さんの素晴らしい癒しの歌を、一人でも多くの悲しむ人に聴いてほしい、その一念で始めたもの。同郷の世界にファンをもつ天才詩人の傑作「銀河鉄道の夜」は、その難解さと同時に、美しいきらびやかさと尊厳なテーマをもちます。この物語は、わたしのブログの目的が、隠れファン100万人ともいえる国民的スーパーアイドルに、わたくし個人やこのブログを知っていただくことではないとの、原点に立ち返るには、最適な物語ではないかと思います。当然ですが、私は芸能界やスターとは無縁な一般大衆の、小さな一人にすぎません。

 幸運にも天地真理デビュー45周年記念パーティーに参加し、音楽関係者や親衛隊をはじめとする全盛期からの熱心なファンの皆様に大変お喜びの真理さんのお気持ちを思うにつけ、小生が、真理さんのFaceBookや当ブログで、「真理さ~ん、真理さ~ん」と気安く呼びかけ、ちょっと馴れなれしいのでは、と最近、反省しています。正直、真理さんの熱心なファン、すなわち当時のコンサートに行き、真理さんの生録音や生写真を宝ものとし、レコードやブロマイド、はたまた関連グッズを大切に所有する生粋の「真理ちゃんファン」の皆様と、直接あるいはネット上で会話し、僕ぁちょっと違うなぁ~との思いがあるのは隠しきれない正直な感想なのです。

  文庫銀河鉄道の夜2016-200

 では、本題に戻りましょう。「銀河鉄道の夜」の後半は、タイタニック号の沈没で溺死した三名の乗車から始まります。

1)青年と二人の姉弟の登場・・・突然、乗車する三人の客
 カンパネルラ 『何だかリンゴの匂いがする。』
 ジョバンニ 『野茨(のいばら)の匂いもするよ。』(今、秋だから、その筈ないけれど)

 「そしたら俄かにそこに、つやつやした黒い髪の六つばかりの男も子が赤いジャケットのボタンもかけずひどくびっくりしたような顔をしてがたがた震えて裸足で立っていました。」
 「黒い服をきちっときた背の高い青年(二人の姉弟の家庭教師)」が男の子の手をしっかりひいて立っていました。
 『あら、ここどこでしょう。まあ、きれいだわ。』青年の後ろに十二ばかりの眼の茶色な可愛らしい女の子が黒い外套を着て、青年の腕にすがって不思議そうに窓の外を見ているのでした。

 男の子曰く『だけど僕、船に乗らなかったらよかったなぁ』。泣いている姉。
 青年曰く『私たちはもうなにも悲しいことないのです。私たちはこんないいところを旅して、じきに神様のところに行きます。』

 すでに同乗していた灯台看守「あなたがたどちらから・・・」
 『氷山にぶつかって船が沈みましてね。・・・(沈みゆく船で数少ない救命ボートへ乗船したものと乗船できないものとの葛藤)・・・この方たちのお母さんは一昨年なくなられました。』・・・青年の極限状態のお話は、その情景を眼前のものとして一気に語るのでした。

 主よみもとに近づかん 賛美歌320番 歌詞付き

 灯台看守の慰め 『何が幸せかわからないのです。本当にどんなつらいことでもそれが正しい道を進む中での出来事なら峠の上りも下りも本当の幸福に近づく一あしずつですから。』・・・青年の祈るような答え『ああそうです。ただ一番の幸いに至るために、いろいろな悲しみもみんなおぼしめしです。』

 「そしてあの姉弟(きょうだい)はもうすっかり疲れてめいめいぐったり席によりかかって睡(ねむ)っていました。さっきの裸足だった足にはいつか『白い柔らかな靴』をはいていたのです。」・・・白い柔らかな靴・・・童話作家でもある賢治の妹思い、子供思いのやさしい本当の心がわかるシーンです。

 賛美歌310番「しずけきいのりの」♪/歌:森山良子

 その後、車窓からの銀河の世界の光景は、ダイヤモンドを散りばめたきらびやかな夢のような銀河、りんどうの咲く野原、空を覆い尽くすような多数の渡り鳥を誘導するゆるい服を着た謎の人、コロラド高原や河谷のような雄大な景色、架橋する工兵部隊、鳥を追い射止めるインディアンたち、どこからともなく聴こえる「讃美歌」や「新世界交響曲」、赤く燃えるさそり座を示す「三角標」の数々(当時、三角点測量に使わていた櫓がモデルともいわれる)とダイナミックに移り行き、この光景に搭乗者が車窓から身を乗り出す如くに感嘆したり、仲良く会話を楽しみつつ、列車はサザンクロス(南十字星)を目指すのでした。

 宮澤賢治は、法華経の熱心な信徒でしたが、少年の二人の名前からイタリアを舞台とするとされるこの物語では、タイタニック号の遭難者に敬意をはらう意味でも、全編、キリスト教の精神で神(キリスト)が治める天国・パラダイスを描写、表現しています。(注)
 (注)仏教の行いと輪廻の思想も含まれています。

 北日本は、もう晩秋。仙台はイチョウの葉も落ちて「木枯らし」が舗道に吹いています。そうでした、ついこの間、札幌は、北海道は大雪でしたね。もうじき12月、クリスマスもあと一か月余りです。クリスチャンにはなじみの華やかな讃美歌ということでしょう、日本名「さやかに星はきらめき」"Oh Holy Night"を、イギリスと日本の教会での合唱でお聴きください。

 O Holy Night : Kings College, Cambridge/第二讃美歌「さやかに星はきらめき」

 讃美歌第二編 219番 「さやかに星はきらめき」 鹿児島加治屋町教会 2013.12.24夜


つづく

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主よみもとにちかづかん

またまた、お邪魔いたします。熊五郎です。
偶然が私がいつも聞いている讃美歌のyou tubeが全く同じなので、思わずコメントしたくなりました。ご紹介されている「主よみもとに近づかん」の讃美歌は戦前から世によく聴かれたものです。一番の出だしは「主よみもとに近づかん登る道は十字架にありともなど悲しむべき主よみもとに近づかん」です。私は物心がついた3歳ぐらいから母がよく口づさんで聴かせてくれました。もちろん、幼き私にはなんのことか、さっぱりわかりませんでした。92歳で亡くなった母は高等女学校卒だったせいか、情緒によきものは、西洋であれ関係なく取り入れるという考えの持ち主でした。母の生きた10代は、少しづつ軍国時代へ向かう時代でしたので稀有な考えと思わざるを得ません。なにせ、男も家事せよでしたから。
母は10歳で母を亡くした影響が大いにあるのでしょう。この讃美歌は河川敷の夕焼けの時によく歌ってくれました。私は真理ちゃんのように歌のうまい人、可愛い人に惹かれるのは、讃美歌を幼い時から聴いたことが大いに関係しているのかもしれない。

Re: 主よみもとにちかづかん

熊五郎さん 石垣島の旅行、良かったですか。三つもたて続けてコメントありがとうございます。小生は、年度後半、下期は仕事でばて気味です(建設コンサルタントは役所からの受注産業なので)。お礼はこのぐらいで・・・
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