BL 08. 母の愛


 母は保育園の調理師などの仕事をし、女手一人で天地真理を育てた。
 天地真理は、母の深い愛情を存分に受け、かつ日頃、栄養を考えた、おいしい母の料理を食し、特に大きな病気をすることなく元気に成長した。
 娘のアイドルとしての大活躍が始まると、1973年の7月19日、天地の母が東京・新宿に小料理店「てまり」を営業開始した。この開店日には、娘の天地真理が必ずや来るだろうと考えた多くの青年が店に押しかけたが、天地真理は現れなかった。彼女は盲腸の手術で入院していたのである。残念!!
 開店直後、某ラジオ番組で、母子ともに登場したときは、親子の深い絆を視聴者に印象付けた。
 同店は1980年6月の閉店まで天地ファンの集いの場として連日賑わった。

  お母さんと
   お母さんと一緒です

  PAKURONさん 『てまり』の真理ちゃん 1973/9

  bellwood58さん 天地真理 TBS奥さま8時半です「親子でどうぞ」1976.7.27

 昭和47年(1972.11.16)の第3回日本歌謡大賞放送音楽賞受賞式。お母さんが、和服の正装でおいででした。涙する母と娘。しかし、真理さんは立派です。涙を見せずに堂々と「ひとりじゃないの」を歌いあげました。

  marinohiko_yamanoさん 授賞式

 次は、母との書簡をドラマのように歌にした名曲。何度も「お母さん」とやさしく語りかけ、かわいい感じ。

  tadashi20090628さん「返信」

  また、真理さんは後年、その著書で、母と離婚した実父については次のように語っています。

 「母から父のことを打ち明けられたのは、高校1年のときです。それまでは、父は私が生まれてからすぐ亡くなったと、母から教えられていました。もう、高校生ということで、母も私に打ち明ける気になったのだと思います。「あなたのお父さんとは、あなたが2才のときに別れたの。お母さんのせいで、寂しい思いをさせてごめんなさいね」「お母さん、私、知ってたよ。気にしなくていいから」私は必死の笑顔でそう答えました。
 本当はそのとき、初めて知ったことでした。でも、母の顔を見ると「ここで私が泣いたら、お母さんを悲しませる」そう思い、必死に笑顔を作ったのです。私に泣かれるのを覚悟していた母は、ホッとした表情でした。母の顔を見て「これでよかったんだわ」と私は自分自身にいいきかせました。その夜、私はベッドでひとり、気のすむまで泣きました。」
(天地真理著『スリムになるってステキなことネ』p.23~24)

   江島達也氏の花
     青空に白き華こそ天地真理!

     江島達也さんブログ:こんな音楽の先生に習いたかった

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